ブルゴーニュ公国(ブルゴーニュこうこく)

[ヨーロッパ−中世]

中世フランス中部および低地諸国を支配した国家。 本来ブルゴーニュ公はフランス王の封臣であるが、 14世紀から15世紀にかけて ヴァロワ朝の傍系であるヴァロワ=ブルゴーニュ家の時代にフランドル伯領も支配し、 さらにネーデルランドに領土を拡大して フランスから離れ独自の行動を取るようになったため特に「公国」と呼ばれる。 初代はシャルル賢王の弟フィリップ豪胆公で、 ブルゴーニュ公に封じられた後フランドル伯領も婚姻により手に入れた。 次のジャン無怖公の代にフランス王シャルル6世が発狂し、 主導権を巡ってオルレアン公と対立した。 イングランドがフランスに侵攻するとこれに対抗するため和睦しようとしたが、 王太子シャルルの部下によって暗殺された。 そのため跡を継いだフィリップ善良公はイングランドに組して王太子と戦った。 なおジャンヌ=ダルクを捉えたのはフィリップの部下である。 その後即位したシャルル7世と和睦したが、 その後も主にネーデルランド方面に独自に所領を拡大した。 同時に文化的にも栄え、今日まで残る金羊毛騎士団を創設したりと、 公国は最盛期を迎えた。 また本拠地を現ベルギー首都のブリュッセルに移し、 益々「ネーデルランドの独立国家」化した。 その跡を継いだシャルル突進公はさらに領土拡大を目指し、 フランス王を含む周辺諸侯と戦いまくった。 だが無謀な戦いの末スイス傭兵に破れ、最期はロレーヌ公との戦いで戦死した。 突進公には男子がいなかったため、 独立勢力としてのブルゴーニュ公国はここに終わりを告げた。 公国領はフランスに編入されそうになったが、 ネーデルランドとフランス東部のフラッシュ=コンテはシャルルの娘婿である ハプスブルク家のマクシミリアンに継承された。 フラッシュ=コンテは後にフランスに編入されたが、 ネーデルランドは後のオランダ・ベルギーの元となった。

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