エムス電報事件(エムスでんぽうじけん)

[ヨーロッパ−近代]

プロイセン首相ビスマルクが情報操作を行い普仏戦争開戦の切っ掛けとなった事件。 普墺戦争の結果北ドイツ連邦はプロイセンの従属化に入ったが、 南ドイツ諸侯はフランスの介入もあってプロイセンの影響外に留まっていた。 首相ビスマルクはフランスの影響を排除する機会を窺っていたが、 そんな中スペインで革命が発生し女王が亡命する事件が発生した。 革命政府は立憲民主制を採用し、 新国王としてプロイセン王の縁者であるレオポルドに白羽の矢が立った。 だが両国に挟まれたフランスはこれを不服として強硬に辞退を迫り、 元々執着していなかったプロイセン側もこれを受け入れた。 フランスのナポレオン3世は将来に亘ってスペイン王位を要求しないことを求め、 プロイセン王が静養中であったドイツ西部のバート=エムスに大使を派遣した。 この際大使の要求は無礼であるとして国王は面会を断り、 その内容はベルリンにいたビスマルクに電報で報告された。 フランスを攻撃する機会が到来したと思い至ったビスマルクは陸軍大臣ローン・ 参謀総長モルトケと相談し、 電報の一部を省略してフランス大使が傲慢な要求をしたため 王が強い態度で拒絶したかのように操作した上で内容を公開した。 (ちなみに文書の捏造はしていないため越権行為にはならない。老獪である。) さらにフランスマスコミ向けの発表ではフランス大使への伝言役が「副官(士官)」 ではなく「下士官」と誤解されるよう単語を翻訳せずに伝えられ、 無礼な対応であったという印象を持たせた。 この内容が公開されると両国の敵対感情が刺激され、開戦を求める世論が高まった。 フランスではナポレオン3世や閣僚も世論を抑えることが出来ず、 議会では圧倒的大差で開戦が可決され、 プロイセンに宣戦布告し普仏戦争が始まることになった。

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