エリザベス1世

[ヨーロッパ−近世]

テューダー朝最後のイングランド女王。 生涯独身だったため「処女王」と呼ばれる。 ヘンリー8世とアン=ブーリンの子として生まれたが、 男子を産まなかった母アンが処刑されたため、 庶子となり王女の称号を剥奪された。 父王の死後最後の王妃キャサリン=パーと その再婚相手トマス=シーモアに引き取られたが、 このシーモアと男女関係を持ったとも言われている。 後にシーモアは反逆罪で処刑されたが、 この件がエリザベスが結婚しなかった要因の一つであったとする説もある。 熱狂的カトリックである姉メアリが即位すると、 プロテスタント側の旗頭と見做され幽閉された。 このように逆境続きだったが、姉メアリの死後運命は一変し、女王として即位した。 エリザベスは即位すると主に政治的理由からイングランド国教会重視政策を進め、 その基盤を確立させた。 また王位継承者を設けるため結婚の話も持ち上がったが、 母とトマスの非業の死も影響したのか結局独身を通した。 対外的にはスペインから独立しようとしていたネーデルラントを支援し、 また経済的動機から主にスペインを標的とした私掠船(海賊)を認可したため、 スペインとの関係が悪化し戦争に至った。 イングランドは国力では不利であったが、 私掠船で鍛えられた海軍の力もあって勝利し、 後の大英帝国繁栄の切っ掛けとなった。 しかしその後度重なる戦争による財政悪化と 囲い込み法による難民発生で国民生活水準は悪化し、 エリザベスの治世末期はスパイとプロパガンダに頼るようになってしまった。 エリザベスは子はなく継承者の指名もしなかったため、 その死後家臣が密かに準備していたスコットランド王ジェームスが即位した。
エリザベスはイギリス発展の礎を築いた女王として有名であるが、 同時代にあまり好かれなかったことはあまり知られていない。 彼女が名君として称えられるようになるのはその死後、 スコットランドの王の下で国王派と議会派の対立が深まってからである。 発展の基盤を築いた優れた政治家(であり策謀家)であったのは事実だが、 人格も優れた名君とされたのは議会派が政治的に利用するためであった。 シェイクスピアなどによる文化の発展も後世の好印象につながった。

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