エドワード3世

[ヨーロッパ−中世]

中世のイングランド王。百年戦争を始めた王として知られる。 母イザベラが愛人モーティマーと共にクーデターで父エドワード2世を廃したため年少で即位した。 後モーティマーの専断に怒ったエドワードはこれを処刑し、 母も幽閉して親政を始めた。 エドワード3世は父と異なり為政者として有能で、 対スコットランド戦争の勝利・毛織物産業の振興など、王としての実績を重ねていった。 この頃フランスでカペー朝が断絶し、王の従兄弟のヴァロワ伯フィリップが王となったが、 エドワードの母イザベラがフランス王フィリップ4世の娘であったため、 エドワードも王位継承権を主張した。 元々フランドルやスコットランドを巡ってフランスとは対立していたため、 交渉は決裂して戦争となった。 これが後に百年戦争とよばれる一連の戦役の始まりであった。 戦いが始まるとエドワード自身や息子エドワード黒太子の軍事的手腕により勝利を重ね、 王位継承権の放棄と引き換えにカレーやアキテーヌを始めとする広大な領土を手に入れた。 ここで手に入れた領土はフランス全土の凡そ3分の1の面積である。 しかし、フランス王に有能なシャルル5世が即位すると巻き返され、 軍司令官のベルトラン=デュ=ゲクランの手腕やペストによる国力低下もあって連敗し、 カレー・ボルドー・バイヨンヌの3都市を除いて大陸の領土を全て失った。 また、この頃王妃フィリッパ・太子エドワードに相次いで病死され、 初期の躍進とは対照的な寂しい晩年を送った。 彼の死後太子の子 (つまり3世の孫) のリチャードが跡を継いだが、 実権は太子の弟、新王の叔父が握ることとなった。
エドワード3世は初期の業績から見て有能な王であったが、 長い治世の末期に没落し、ナポレオンにも匹敵する波乱の人生となった。 また、エドワード3世は百年戦争ともう一つガーター騎士団の創設者としても知られる。
ところで祖父も父も本人も長男もエドワードである。 フランスのルイもそうだが紛らわしくないのだろうか。

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