エドワード1世

[ヨーロッパ−中世]

中世のイングランド王。 その体格から「長脛王」、 或いは政策から「イングランドのユスティニアヌス」 「スコットランド人の鉄槌」ともあだ名される。 皇太子時代に父ヘンリー3世の政敵シモンを敗死させ、 彼ら改革派と和解し国政の実権を握った。 十字軍を率いてシリアで勇名を馳せたが、 父の死の報を受けて帰国、諸侯の期待を一身に集めて即位した。 即位後は多くの改革と法の整備を行って 乱れていたイングランド国内の政情を安定させた。 また、戦費調達のため聖職者・貴族・州・都市の代表からなる 「模範議会」を召集し、後世の方向性を決定づけた。 これらの業績から、エドワードは 「イングランドのユスティニアヌス」と呼ばれた。 また対外的にはウェールズを征服して息子を 「プリンス=オブ=ウェールズ」とした (以後この称号はイギリス皇太子の称号となる)。 またフランスとガスコーニュを巡って争い、 長い戦いの後目的を果たして講和した。 また、フランスの同盟国であったスコットランドとも戦い、 これが最も長い戦いとなった。 一時は完全に征服し直轄地としたが、 ウィリアム=ウォレスを指導者とする反乱が起き、 フォルカークの戦いでこれを破るものの、 反乱軍はゲリラとなってイングランドを悩ませた。 後再度スコットランドに遠征し、ウォレスを処刑したが、 自身と対立するロバート=ブルースがスコットランド王となり、 それに対する遠征の途上で病没した。
このエドワード1世は映画「ブレイブハート」の悪役であるが、 実際にはイングランドを発展させた名君である。 スコットランド遠征は息子エドワード2世の代で完全に失敗するが、 彼の時代にウェールズ征服と国内安定を実現し、 イングランドは西欧の強国として発展したのである。

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