[ヨーロッパ−中世]
中世のフランスの名将。
コネターブル (大元帥) として100年戦争前半戦を勝利に導いた。
100年戦争の勃発期に生まれ、生涯をフランスの勝利と国力の向上に捧げた。
ブルターニュの小貴族の子として生まれ、容貌魁偉な乱暴者であった。
長じてブルターニュ公シャルル=ド=ブロワに仕え、
ブルターニュ継承戦争で軍事手腕を発揮するようになった。
やがてフランス王シャルル5世に重用されるようになり、
何度か捕虜になるものの北フランスの対イングランド戦争で勝利を重ねた。
イングランドとの休戦後、フランス国内の社会不安の要因となっていた
傭兵を率いてカスティリャ継承戦争に参戦し、
一度はエドワード黒太子に敗れて捕虜となるものの、
最終的にペドロ残虐王を破り、
エンリケ=デ=トラスタマラを王とすることに成功した。
その後イングランドとの戦いが再開されると、
武人として最高位のコネターブルに任命された。
その後主にゲリラ戦と焦土作戦で勝利を重ね、
最終的に大陸領の大部分を奪回するのに貢献した。
ゲクランは10年間コネターブルの地位にあり、
最後は南フランスで城攻めの最中に病没した。
その城シャトーヌフ=ド=ランドンはゲクランの死後、
生前のゲクランとの約束を守りその名誉のために降伏したという。
ゲクランはゲリラ戦を得意とする名将であり、
その戦いのスタイルは後のルネサンス期の傭兵隊長に近い合理的なものであった。
また豚やブルドッグに譬えられる魁偉な容貌であり、
またその外見に似合う豪腕を持つ乱暴者でもあった。
反面義侠心に溢れる人物でもあり、また賢明王シャルルには生涯忠誠を守り通し、
勇猛さもあって後世騎士の鑑と見做されるようになった。
日本では後のジャンヌ=ダルクに比べて無名であったが、
ゲクランもゲームや小説の影響で徐々に知られるようになった。
実際彼や賢明王の戦果は次世代の不手際で台無しになったとは言え、
その活躍はジャンヌ以上のものがある。
ようやく本来の活躍に相応しい知名度が得られつつあると言えるだろう。