ドイツ帝国(ドイツていこく)

[ヨーロッパ−近代]

プロイセン王国を中心として成立したドイツ統一国家。 プロイセン首相となったビスマルクはオーストリアを除外した小ドイツ主義に従って 統一事業を進め、 普墺戦争の勝利によって北ドイツ諸侯を、 普仏戦争の開戦によって南ドイツ諸侯を勢力下に収めた。 そしてパリを攻囲し普仏戦争の勝利がほぼ確定的になると、 占領したヴェルサイユ宮殿においてドイツ皇帝の即位式を行い、 ドイツ帝国を成立させた。 ドイツ帝国は22の領邦と3の自由市によって構成される 連邦制国家で各領邦の形態が残されていたが、 ドイツ皇帝はプロイセン国王と兼任とし、 また連邦参議院の議席総数58の内17議席をプロイセンに割り当て プロイセン抜きで憲法改正は出来ず主導権を維持できるようにした。 ビスマルクは帝国成立後そのまま帝国首相となって内外政を主導し、 外交ではフランスの報復を警戒して他の列強との同盟に腐心し、 内政ではユンカーを保護する保守的な政策を進めながらも 社会保障の拡充によって労働者にも配慮した。 こうして後進ながら列強の一角の地位を固めたが、 ヴィルヘルム2世が即位すると政策を巡って対立し、 ビスマルクが更迭され皇帝による親政が行われた。 ヴィルヘルムは野心家で対外拡張政策を実施し、 植民地を巡って英仏と対立した。 さらに日露戦争後にはロシアが英仏と接近してこちらとも対立するようになり、 第一次世界大戦ではオーストリアと共に英仏露と戦うことになった。 ドイツは国力では劣勢ながらもこれら列強と互角に戦うが、 潜水艦の無差別攻撃が祟ってアメリカの参戦を招いて国力差はさらに増し、 参謀本部が実験を握るも戦況を改善することは出来なかった。 最後は厭戦機運が蔓延する中革命が勃発して皇帝ヴィルヘルム2世は亡命に追い込まれ、 ドイツ帝国は滅亡しヴァイマル共和国が成立した。

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