[ヨーロッパ−近代]
プロイセンとオーストリアの間で戦われた戦争。
両国はドイツ統一の主導権を巡って対立していたが、
第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争で領土を得た後
その処遇を巡り直接戦うまでに至った。
戦争はシュレースヴィヒに駐屯していたプロイセン軍のホルシュタイン侵攻で始まり、
主に北ドイツ諸侯はプロイセン、南ドイツ諸侯はオーストリアに付いて戦った。
双方の動員兵力はほぼ互角であったが、将兵や兵器の質はプロイセンが圧倒し、
参謀総長モルトケが鉄道と電信を活用して迅速な進撃を行い、
各地でオーストリア軍相手に勝利を重ねた。
オーストリアはプロイセン側に付いたイタリア相手に勝利したものの、
劣勢を覆すには至らず、
ケーニヒグレーツの戦いで主力が包囲され大敗した。
ここでフランスのナポレオン3世が介入し、
オーストリア領内の鉄道網が未整備で補給が滞ったこともあり、
プロイセンは進軍を停止し停戦した。
プロイセンはホルシュタイン以外の割譲は求めず、
他にも低額の賠償金のみで終戦に合意した。
この戦いの結果オーストリアが失った領土や支払った賠償金は少なかったが、
ドイツ諸侯への影響力を失いドイツ統一から完全に脱落した。
一方プロイセンはホルシュタインの他ハノーファー等の領土を得た上
北ドイツ連邦を結成しドイツ諸侯の盟主となった。
しかしフランスの介入もあって南ドイツの諸侯は連邦に加わらず、
プロイセンはドイツ統一を完成させるため普仏戦争を仕掛けることになる。