十字軍(じゅうじぐん)

[ヨーロッパ・中東−中世]

西欧 (主にフランス・イタリア・ドイツ・イギリス) のキリスト教徒によるイスラム教勢力への侵攻軍。 転じて東欧の異教徒や西欧の異端派に対しても十字軍の名称が用いられるが、 本来は聖地エルサレムへの侵攻軍である。 どれを十字軍と勘定するかで回数は6回から8回まで差がある。 ビザンティン帝国がセルジューク朝の圧迫を受けて 西欧に援護を求めたのが切っ掛けで、 教皇が聖地エルサレムのイスラム教徒からの奪回を諸侯に呼びかけた。 それに応じてフランス・イタリアの諸侯が中心となってセルジューク朝を攻撃し、 エルサレム及び周辺地域を占領して エルサレム王国を始めとする幾つかの国を建国した。 この最初の十字軍は軍事的にほとんど唯一成功した十字軍であったが、 侵攻地域での残虐非道さでも有名になった。 この十字軍によって建国された国家は その本来の趣旨はキリスト教の擁護であったが、 現実には政治的都合でキリスト教のビザンティン帝国と対立したり、 イスラム教徒の諸侯と同盟したりと、 普通の国家として振舞った。 後にイスラムの英雄サラディンによってエルサレムは奪還され、 再奪還のための十字軍も起こされたが、 有名なリチャード獅子心王らが参加しても果果しい成果は得られなかった。 悪名高い第4回十字軍に至っては 同じキリスト教徒のはずのビザンティン帝国を攻撃して コンスタンティノープルを占領・破壊した。 宗教よりも現実の利害が優先したのである。 第1回を除けば最も成功したのは皇帝フリードリヒ2世で、 外交交渉により一兵も用いずエルサレムを手に入れたが、 思想が先進的過ぎて理解されず、 教皇を中心とした反発を招いて内乱となってしまった。 その後フランスの聖王ルイがエルサレムを所有する アイユーブ朝の本拠地エジプトに侵攻するが敗北、 これが最後の本来の意味での十字軍となる。 後にルイはチュニスに侵攻しようとして陣没し、 これも十字軍に勘定されるが、 これは最早聖地は関係なく 単に両シチリア王となった弟シャルルのための行動であった。 聖地周辺に細々と残った十字軍国家は、 アイユーブ朝の後建国されたマムルーク朝によって全て滅ぼされ、 十字軍は失敗に終わった。 後に何度か十字軍の試みは行われたが、 目的は聖地ではなく、本来の十字軍とは分けて考えるべきものである。
十字軍の時代にはリチャード獅子心王やイスラム三大英雄 (ヌール=ウッディーン・サラディン・バイバルス) といった英雄を生んだ一方、 十字軍によって煽られた宗教的熱情は、多くの悲劇も生んだ。 十字軍に参加しようとした少年達が奴隷として売られたという事件や、 異教徒の虐殺などである。

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