[ヨーロッパ−中世]
フィレンツェの政治家・銀行家で、
メディチ家の当主として最初にフィレンツェを事実上支配した人物。
コジモ=「イル=ヴェッキオ」(老人或いは賢明なコジモ) と呼ばれた。
メディチ家はコジモの父ジョヴァンニの代に一躍フィレンツェの名族となり、
コジモもその商売をさらに発展させた。
当主になった4年後政敵によってフィレンツェを追放されたが、
その政敵の失脚によりフィレンツェに帰還した。
その後コジモは共和制の看板は残したまま政治工作で権力を掌握し、
共和制都市国家フィレンツェの事実上の君主となった。
コジモはイタリアの他の強国であるミラノやヴェネツィアとの勢力均衡を図り、
フィレンツェの繁栄を導いた。
また多くの芸術家のパトロンとなってルネサンスを花開かせた。
死後にその業績を称えられ「パーテル=パトリアエ」(国家の父、ローマ皇帝の称号)
の称号を送られた。
後を継いだ息子のピエロ=「イル=ゴットーゾ」(通風病みのピエロ)
はそのあだ名の通り病弱で短命であったが、
孫のロレンツォ=「イル=マニフィコ」(偉大なるロレンツォ)
の代にメディチ家政権とフィレンツェは最盛期を迎えることとなる。