雲台二十八将(うんだいにじゅうはっしょう)

[中国−漢]

後漢の光武帝劉秀の功臣。 2代目明帝の代に洛陽南宮にある雲台に肖像画が描かれたが、 その際光武帝即位時の重臣であった二十八将と共に、 即位後に加わった重臣4名も加えた32人が描かれ顕彰された。 そのため雲台三十二将と呼ばれることもある。 なお皇帝の親族は除いたようで、 トップクラスの重臣であった来歙・馬援は 明帝の縁戚であったため描かれなかったらしい (明帝自身は尋ねられても笑って答えなかったため推測である)。 ちなみに皆それなりの領地を拝領したが、 天下統一後は名誉職に留まって政権中枢で働くことは無かった。 一方前漢の高祖劉邦のように功臣を粛清することも無かったため 後世この処遇は後漢書などで評価された。 また「将」だけあって武官が中心で、 ケ禹や寇恂も文の功績がメインではあるが将として軍を率いたことがある (高齢かつ臣従期間が短かった卓茂は例外)。 この点親族も文官も含まれる唐の凌煙閣二十四功臣とは対照的である。
二十八将は

  1. ケ禹
  2. 呉漢
  3. 賈復
  4. 耿エン
  5. 寇恂
  6. 岑彭
  7. 馮異
  8. 朱[示古]
  9. 祭遵
  10. 景丹
  11. 蓋延
  12. 銚期
  13. 耿純
  14. 臧宮
  15. 馬武
  16. 劉隆
  17. 馬成
  18. 王梁
  19. 陳俊
  20. 杜茂
  21. 傅俊
  22. 堅鐔
  23. 王覇
  24. 任光
  25. 李忠
  26. 萬脩
  27. [不β]トウ
  28. 劉植
加えられた四将は
  1. 李通
  2. 竇融
  3. 王常
  4. 卓茂
なお二十八は二十八宿(中国の星座)にちなんだと考えられており、 (特に下位のメンバーは)ややこじつけ感がある。

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