シャルル突進公(シャルルとっしんこう)

[ヨーロッパ−中世]

ブルゴーニュ公国の事実上の最後の公。 あだ名のル=テメレールは「突進公」の他に「豪胆公」「猪突公」「無鉄砲公」 とも訳される。 そのあだ名の通りの人生を送った。 フィリップ善良公の息子として生まれ、その死後公位を継承した。 父の生前より反骨精神が旺盛で、 強権的なフランス王ルイ11世を嫌う反国王派の貴族を纏め上げ、 ルイと戦って優勢な状況で和睦した。 父はフランス王の臣下の立場を貫きながら事実上の国家を築いたが、 息子シャルルはこの勝利もあってか完全な独立国家の建設を目指した。 ネーデルランドの小領主を屈服させ、 フランス王に対抗するためイングランド・オーストリアと同盟しようとしたが、 相手の国内事情もあり上手くいかなかった。 元の本拠地ブルゴーニュとフランドル・ネーデルランドを結ぶべく ロートリンゲン (ロレーヌ) やその周囲の諸侯を攻めたが、 スイスに敗北したことを切っ掛けに追い詰められ、 最後はスイス傭兵も雇ったロートリンゲン公とナンシーで戦い、 敗れて戦死した。 息子がいなかったため公国領がフランス王に没収されかかった (実際ブルゴーニュは没収された) が、 娘マリーがハプスブルク家のマクシミリアンと結婚していたため、 過半数の領土はハプスブルク家に受け継がれた。
シャルルはそのあだ名の通り勇猛果敢な将であったが、 その無謀さが仇となり最後は追い詰められて戦死した。 やや小粒だがどこか項羽を連想させる。 ただし項羽と異なり娘が嫁いだハプスブルク家にブルゴーニュの名跡は受け継がれた。 シャルルは神聖ローマ皇帝となって ヨーロッパの覇者となることも考えていたと言われるが、 その野望は曾孫のシャルル (カール5世) によって実現することとなった。

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