シャルル=ダンジュー

[ヨーロッパ−中世]

中世シチリア・ナポリ王。王としての名はカルロ1世。聖王ルイの弟である。 プロヴァンス伯の娘と結婚し、プロヴァンス伯領を継承した。 ちなみに妻はフランス王妃やイングランド王妃の妹である。 さらにアンジュー伯・メーヌ伯も兼ねた。 ただし、領内には強権的なシャルルに対する反感も強く、 反乱も発生して鎮圧に時間がかかっている。 ローマ教皇とシチリア王マンフレーディの対立に乗じて シチリア王カルロ1世となり、 シチリアを統治していたホーエンシュタウフェン家を滅ぼして 南イタリアを征服した。 シャルルは野心家で、兄を誘導して対岸のチュニジアを攻めさせた。 ただし、これは疫病のため撤退し、イスラム勢力の牽制に留まっている。 さらにラテン帝国の皇帝の地位を手に入れ、ビザンティン帝国の征服も図った。 しかし、ビザンティン皇帝ミカエル8世の方が役者が上で、 東西教会統一によって足止めされ、準備が整うと今度は重税が祟って 「シチリアの晩鐘」と呼ばれる大反乱を誘発してしまう。 そしてホーエンシュタウフェン家の親戚でミカエルと通じていた アラゴン王ペドロにシチリアを奪われ、 ローマ教皇・フランス王の支援を背景にナポリを拠点に反撃するも、 撃退されて失意の内に病没した。
シャルルは兄ルイと違って大変な野心家で、権力を握る能力に優れ、 広大な領土を手に入れた。 反面権力を活用する能力はあるとは言えず、 シチリアを権力拡大のための収奪の場としか見なかったため、 領土を失った。 当時は異端者と見られていたフリードリヒ2世は領民の評判は良く、 対してシャルルはフランスや教皇に支持されたが、 今でもシチリア最悪の王と見なされているのである。 尤も、全てが水泡に帰したわけではなく、 ナポリ王家とハンガリー王家は彼の子孫が継承した。

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