シャルル7世

[ヨーロッパ−中世]

中世のフランス王。 百年戦争の決着をつけ「勝利王」と呼ばれる。 兄達が早世したため太子となったが、 ブルゴーニュ派とアルマニャック派の内乱、 続いてイングランドの侵攻によりパリを追われフランス南部に逃走した。 イングランドに対抗するためブルゴーニュ派と和解しようとしたが、 交渉の場で王太子側がブルゴーニュ公ジャンを暗殺してしまったため、 跡を継いだフィリップ善良公はイングランドに付いてしまった。 イングランド王ヘンリー5世とフランス王シャルル6世が相次いで死去したため 王太子シャルルも即位を宣言したが、 ブルゴーニュ派が否認したため正式な王とはなれなかった。 依然シャルルは追い詰められていたが、 ジャンヌ=ダルクの登場とオルレアンの勝利を切っ掛けとして形勢が逆転し、 ランスにおいて正式に戴冠することができた。 その後ブルゴーニュ派とも和解してカレーなどを除くほとんどの大陸領を奪還し、 百年戦争はシャルルの勝利で終わった。 ただしジャンヌ=ダルクが捕虜になった際身代金を出し惜しみ見殺しにしている。 戦後ジャンヌの名誉回復や国土の復興に努めたが、 晩年は息子である王太子ルイとの対立に苦しみながら死去した。 暗殺を恐れるあまり絶食して餓死したとも言われる。
シャルル7世は「勝利王」の名の通り大きな業績を残した王であるが、 ジャンの暗殺・ジャンヌの見殺しのためかあまり評価されていない。 晩年の太子ルイとの対立とその悲惨な死も同情より マイナス評価になっているようである。 現代においてはジャンヌの見殺しという冷淡な処遇が最も大きいであろうが、 ジャンヌもいささか問題ありなのでシャルルにも多少同情の余地はある。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る