[ヨーロッパ−中世]
中世のフランス王。「ル=サージュ (賢明王)」と呼ばれる。
100年戦争の勃発期に生まれ、生涯をフランスの勝利と国力の向上に捧げた。
王太子であった頃ポアティエの戦いに参加したが、
父王ジャン2世が捕虜となる大敗であった。
その後エティエンヌ=マルセルのパリ反乱やジャックリーの乱といった反乱に悩まされたが、
シャルルは摂政としてこれに対峙し、鎮圧に成功した。
またイングランドがフランス完全制圧を目指して侵攻すると、
徹底した防衛策で撃退に成功、
イングランドとブレティニ=カレー条約を結びフランス王位要求を撤回させた。
この時点でシャルルは実質王と変わらなかったが、
父ジャンが虜囚のまま死去したのを受け、正式に即位した。
シャルルは税制や官僚制などを整える一方、
軍事面ではベルトラン=デュ=ゲクランを登用し、常備軍を整えた。
カスティリャ介入後の混乱から100年戦争が再開されると、
フランス軍は勝利を重ね、大陸の領土の大部分を取り戻した。
その後も国家の基盤作りに努めたが、程なく若くして病死した。
父ジャンは騎士道精神に溢れるものの思慮に欠けるところがあったが、
シャルルは対照的に虚弱ではあったが教養深い人物であった。
そのため父にはなかなか認められなかったが、
父がイングランドに捉えられて後、有能な為政者であることを証明した。
彼自身軍勢を率いることは無かったが、
名将ベルトラン=デュ=ゲクランの登用や持久戦の徹底、常備軍の整備により
イングランドに勝利した。
また、彼の税制・官僚制・常備軍の整備は後の絶対王政のさきがけと言えるものであった。
まさに賢明王の名にふさわしい人物であったと言えよう。