カトー
[共和政ローマ]
- ローマの政治家。曾孫と区別して大カトーと呼ばれる。
名門とは言えない出身だったが、功績を重ねてコンスルにもなった。
大スキピオの配下のクアエストルとして第2次ポエニ戦争にも参加したが、
この時は規則を盾にスキピオの足を引っ張ってばかりいたという
(梶原景時みたいなものか)。
質実剛健を旨とし、常に質素な生活を心がけていたというが、
ヘレニズム好きで名門出身のスキピオとはそりが合わなかったらしい。
後にカルタゴがポエニ戦争の敗戦後も農業で活気を取り戻しつつあるのを見て危機感を抱き、
「ところで私はカルタゴは滅ぼされるべきものと考える」
が口癖となった。
ここでもスキピオがカルタゴ存続派にまわって2人は対立し、
結局大カトーが勝って英雄スキピオをローマ政界から追い落とした。
結果、第3次ポエニ戦争によってカルタゴは滅亡した。
カトー自身は、第三次ポエニ戦争が始まった後に死去している。
質実剛健に努め、文学でも業績を残したが、
彼は残念ながら先進的思想家ではなく、またそういったものを理解することもなかった。
彼が政敵スキピオより好かれることはあまりあるまい
(梶原景時や秦檜よりはマシだろうが)。
- ローマの政治家。1.の曾孫で、小カトーと呼ばれる。
共和制末期に閥族派・元老院派の代表としてカエサルに対抗した。
後にポンペイウスについてカエサルと戦ったが、アフリカで自殺した。
残念ながら、カエサルには遠く及ばない人物であったとしか言えない。
先祖の大カトーにすら及ばないであろう。
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