カルタゴ

[北アフリカ−古代]

フェニキアの植民都市であり、本家フェニキア以上に栄えた海洋国家。 後にライバルとなるローマと同じ頃建設されたが、 初めから海に面していたカルタゴが先に発展した。 元々フェニキア人はギリシア人と地中海を2分する大勢力であり、 カルタゴも西地中海貿易の一大拠点として繁栄した。 一方、フェニキアからは悪しき習慣も受け継いだ。 子供を人身御供としてバアル=ハモンやタニト女神に捧げていたらしく、 遺跡から子供の骨が大量に発掘されているようである (このことがローマに滅ぼされる遠因ともなったようだ)。 イタリアでローマが勃興すると、 地中海の覇権をかけて互いに争うようになる。 第1回ポエニ戦争では主戦場が海上となったため 海洋国カルタゴが有利と思われたが、 ローマの「カラス」と呼ばれた兵器と戦いなれたローマ兵の優秀さにより、 ローマが勝利した。 カルタゴでは劣勢を挽回するため、 ハミルカル=バルカスがイベリア半島へ勢力を広げ、 その子ハンニバルがイタリア半島へ侵略した。 名将ハンニバルはローマを大いに苦しめたが、 傭兵中心で自分では戦わないフェニキア人、 ハンニバルに有力な援軍は現れず、ローマが徐々に盛り返し、 遂に若き名将スキピオがハンニバルを破ってしまう。 この敗戦によってカルタゴは軍備を失い、 海上交易の道も絶たれてしまった。 しかし、カルタゴは農業に己の生きる道を見出した。 北アフリカは古代を通じて大食料庫となったのである。 だが、そのことがローマの警戒心を招き、 先に述べた人身御供に対する嫌悪も手伝って、 ローマの大カトー等強硬派の意見が通ることとなった。 カルタゴは最後の侵略を受け、 紀元前146年5万人と言われる市民と共に文字通り地上から消滅した。 街は徹底的に破壊され、生き残った人間は全て奴隷として売られ、 呪われた地として廃虚には塩が撒かれたという。 この地に再び都市が建設されるのは1世紀以上後のことである。

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