カノッサの屈辱(カノッサのくつじょく)

[ヨーロッパ−中世]

中世ヨーロッパの教皇と皇帝の対立を象徴する事件。 時の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝罪した事件である。 日本語の「カノッサの屈辱」は、当然皇帝ハインリヒ側の視点であるが、 後の顛末を考えると、 教皇グレゴリウスにとっても屈辱の元となったかもしれない。 教皇と皇帝はヨーロッパ、特にイタリアの覇権を巡って対立していたが、 ハインリヒが自分の腹心を各地の大司教・司教に任命したことに対し、 グレゴリウスは任命の取り消しを求め、破門と廃位を仄めかした。 それに対してハインリヒはグレゴリウスの廃位を宣言したため、 対抗してグレゴリウスもハインリヒの破門と王権剥奪を宣言した。 ここでドイツ諸侯が挙って教皇側に付いたため、 ハインリヒは窮地に追い込まれた。 最初は謝罪の使者を送ったものの拒絶され、 ハインリヒは自らグレゴリウスの滞在していたカノッサ城に出向いた。 グレゴリウスは身の危険を案じて城から出なかったため、 ハインリヒは自ら丸腰になり三日間城の前で許しを求めた。 このためグレゴリウスは謝罪を受け入れ、破門を解いた。 政治的にはグレゴリウスにとって不利ではあったものの、 聖職者として許しを請う者を許さないわけにはいかなかったようである。 尚、ハインリヒは裸足でアルプスを越えて謝罪に赴いたという話があったが、 教会側の誇張であったようである。
この後力を蓄えたハインリヒは、対立教皇としてクレメンス3世を擁立し、 敵対した諸侯も教皇グレゴリウスも追い落とした。 勝者となったハインリヒも息子によって王位を追われるのだが、 皇帝と教皇の対立はこの後も続くことになる。

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