ユリウス=カエサル

[共和政ローマ]

ローマ帝政の礎を築いた英雄。「ローマが生んだ唯一の天才」とまで言われる。 本名ガイウス=ユリウス=カエサル(ちなみに後のカリグラも本名は同じである)。 名門ユリウス一門の生まれだが、彼が生まれたとき家は没落していた。 父についてはあまりわかっていないが、母は後に賢母として有名になる人で、 貧しい中でも教育はかなり高度なものを受けていた。 彼は家族が平民派に近く、また庶民とともに暮らしていた環境もあってか、 彼自身も平民派になった。 時の権力者スラに縁談を薦められたが断り、難を逃れるため東方へ逃れた。 留学という名目であったが、実際は遊び呆けていたらしい。 なかなか図太い神経である。 スラの死後ローマに戻り、一応貴族の一員として政治と関わり始める。 しかし、仕事はそこそこに専ら恋愛に明け暮れ、(女に貢ぐため)借金を重ねていった。 当時の彼はローマ一もててローマ一借金を抱えていた。 しかし、伝説ではある日アレクサンドロス大王の伝記を読んで一念発起したという。 ある時期を境に積極的に政治活動を始めた。 まず、さらに借金をして当時ご隠居の役職であったポンティフィクス=マクシムス (最高神儀官)になった。 後の皇帝もこの役職に就き、その権威の形成に一役買った。 さらに仲が悪かった名将ポンペイウス、借金の借主で富豪のクラッススの間を取り持ち、 第一回三頭政治を密かに始めた。 自身執政官となり、もう1人の執政官ビブルスを無視して積極的に自身の政策を実行した。 ローマでは2人の執政官の名で年をいう慣わしであったが、この年は
「カエサルとカエサルが執政官の年」
と呼ばれた。 ポンペイウスに娘のユリアを嫁がせて関係を強化し、 またローマの慣習にならって執政官の任期が切れた後総督として赴任して、 民政での名声を高めた。 さらに元老院で有名なガリア遠征を承認させ、その任に就いた。 ガリア遠征の様子は彼自身が書いた「ガリア戦記」の中に詳しく述べられている。 この遠征は大成功を収め、現在のベネルクス3国とフランスの大部分がローマに組み込まれた。 しかし、ローマ、特に閥族派の中で彼に対する反感が高まり、 ポンペイウスに嫁いだユリアとクラッススが相次いで死去したことで ポンペイウスとも対立してしまった。 ガリアでの任期が終わったとき単身ローマに召還されたが、 本国との境界のルビコン川で革命を決意、有名な
「賽は投げられた」
という言葉とともに軍団を引き連れて川を渡り、イタリアを制圧した。 これ以降のことはこれまた自分で書いた「内乱記」に載っている。 ポンペイウスは自分の地盤である東方で軍団をまとめ、 両者はバルカン半島のファルサルスで激突した。 両者兵士の人望も手腕も高い名将であったが、この戦いではカエサルが勝利した。 敗れたポンペイウスは再起を図ってエジプトに渡ったが、そこで王に暗殺されてしまった。 追ってエジプトに来たカエサルは、ライバルの死に涙を流したという。 ここでプトレマイオス王家の内乱に介入し、かのクレオパトラを女王にした。 その後ポントス王ファルナケスや閥族派を破り、ローマ全域の支配権を確立した。 ローマに帰った彼はローマ人最大の栄誉である凱旋式を挙行したが、 そこでは兵士が将軍を茶化す習慣があった。カエサルの場合
「女房に気をつけろ。禿の女たらしがやってきたぞ。」
であった。なかなか辛辣だが的を得ている。 その後天下人であるカエサルは終身独裁官となり、 ユリウス暦の制定や元老院改革などの政策を実行した。 彼の政策は後のローマ帝国繁栄の元となるものであったが、反対派の憎悪も招いた。 パルティアとの戦いを控えたある日、数十人の元老院議員に囲まれてカエサルは暗殺された。 殺害メンバーの中にはかつて敵対していたがあえて許したものも多かった。 暗殺後殺害メンバーの予想に反し、民衆からは彼の死を悼むこえが湧き上がった。 彼にはクレオパトラとの間にカエサリオンという子がいたが、 遺言では相続人には姪の子オクタヴィアヌスを選んでいた。 彼の帝政樹立の事業はオクタヴィアヌスに引き継がれることとなった。
カエサルはローマが生んだ最大の英雄である。 「唯一の」かどうかは別としても、「天才」であるのは確かである。 彼の政治手腕はライバルを圧倒していたし、 軍事手腕もポンペイウスと並んでトップクラスであった。 さらに文筆の才能もあり、「ガリア戦記」「内乱記」は当時を知る最上級の資料である。 その文体からは、彼の合理的な性格が感じられる。 さらに、閥族派の多くの議員の助命をするなど、寛容の精神も持っている。 総合的に見れば、世界史上でも最大級の英雄である (たとえ見た目が「禿の女たらし」であったとしてもだ)。 しかし、その彼の天才ぶりが彼の欠点にもなった。 自己の理想に邁進したため多くの敵も作り、自身の暗殺を招いた。 しかし、オクタヴィアヌスという優秀な後継者を見出すことができたので、 その偉業を完成させることができた。その辺りも「英雄」である。

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