穆公(ぼくこう)

[中国−春秋・戦国時代−秦]

春秋の5覇に名前を連ねることもある。 秦は西の外れの後進国であったが、穆公の代に大国の仲間入りをする。 「五[羊殳]大夫」百里奚ら賢者を用いて国力を増大させ、 諸民族を服属させて西方の覇者となった。 隣国晋の内乱の時に公子夷吾を匿い、援助して国主の座につける。 しかし夷吾は約束の土地を割譲せず、晋の飢饉で秦が食料の援助をした後、 秦が飢饉となったときむしろ好機到来と攻め込んできた。 この時秦が勝利し夷吾を捕らえた後開放するが、夷吾の性格は改まらず、 その子圉も不実な性格であったため流浪の公子重耳を迎え、 晋国主の座につける。 晋は重耳の下で中原の覇者となるが、 援助した秦の方は西の覇者止まりであった。 秦が元々後進国であったこと、 穆公はバランスに優れた名君であったが言わば器用貧乏で 強烈さに欠けていたこと等が理由として考えられる。

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