オットー=フォン=ビスマルク

[ヨーロッパ−近代]

ドイツの政治家。 ドイツ統一三傑の一人でドイツ帝国成立の中心人物であり、 軍事を重視する政策から「鉄血宰相」と呼ばれた。 フルネームは オットー=エドゥアルト=レオポルド=フォン=ビスマルク-シェーンハウゼン。 プロイセン東部で地主貴族ユンカーの子として生まれ、 文官を目指して大学で法学を学んだ。 卒業後官吏となったが、 希望していた外交官になれず意欲を無くした上に賭博で借金を重ね、 退職して実家に戻り兄と共に農場の経営に身を投じた。 農場を順調に経営する傍ら宗教サークルを通じて 王の近臣で保守強硬派あったゲルラッハ少将と知り合って感化され、 州議会議員に選出されて保守派の政治家としての道を歩み始めた。 その直後に勃発したドイツ三月革命では反革命を貫き、 一時失職するも革命の鎮圧によって復帰した。 そんな中で公使として外交官に転じたビスマルクは 連邦議会に参加してオーストリアなどとの交渉を行い、 対立を繰り返すオーストリアに見切りをつけ小ドイツ主義に傾倒していった。 こうした姿勢が軍制改革を目指す新王ヴィルヘルム1世と陸軍大臣ローンに評価され、 自由主義者中心の議会に対抗することを期待されて首相に任命された。 首相となったビスマルクは議会でいわゆる「鉄血演説」を行って軍拡の必要性を訴え、 議会と対立しながらも軍制改革を断行した。 この結果はシュレースヴィヒ公国・ホルシュタイン公国を巡って戦われた 対デンマーク戦争の勝利で示され、 自由主義者を含む国民の支持を得られるようになった。 その後両公国の帰属問題からオーストリアと対立して普墺戦争を引き起こし、 これに勝利することで北ドイツの覇権を獲得するに至った。 一方フランスの干渉もあって南ドイツ諸侯の支持は得られなかったが、 フランスに謀略を仕掛けて普仏戦争を起こし、 これに勝利することで南ドイツの支持も獲得し、 ドイツ帝国を成立させた。 ドイツ帝国首相となったビスマルクはカトリックや社会主義勢力を弾圧しながらも、 労働者を保護する社会保険制度を成立させ、 いわゆる「飴と鞭」で国民の支持を得ようと腐心した。 また外交面では復讐に燃えるフランスを孤立させることを方針とし、 オーストリアとロシア、 ロシアとの仲が悪化すると代わりにイタリアと同盟した。 こうしてヨーロッパに「ビスマルク体制」と呼ばれる小康状態を生み出したが、 新たにヴィルヘルム2世が即位すると政策を巡って対立し、 首相退任に追い込まれ、政界復帰することなく失意の中死去した。
ビスマルクはドイツ帝国成立最大の立役者であるが、 強硬な保守主義者と見られたことから特に社会主義者などからは嫌われている。 しかし実際には保守主義に拘泥せず、 社会保障や勢力均衡を重視する外交政策など 保守主義と言うより現実主義的な政策を実施してビスマルク体制の平和を実現した。 大久保利通がお手本にしたのも宜なるかなである。 ちなみにビスマルクと対立し辞任に追い込んだヴィルヘルム2世は 第1次世界大戦を経てドイツ帝国を滅亡に追い込み、 図らずもビスマルクの優秀さを証明してしまった。

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