バヤジット1世

[オスマン帝国]

オスマン帝国の第4代の君主。 その迅速な用兵から「稲妻 (ユルドゥルム)」と呼ばれた。 父ムラト1世が投降したセルビア人貴族に暗殺されると、 ライバルの弟達を殺害して即位した。 即位後、セルビアを始めとするバルカン半島のキリスト教諸国を征服し、 その大半を支配下に置いた。 これはハンガリー王ジギスムントを中心とする十字軍の侵攻を招いたが、 ニコポリスの戦いで勝利し撃退した。 続いてアナトリアのトルコ系諸侯を征服したが、これはティムールの介入を招いた。 両者の対立は決定的となり、そしてバヤジットにとっては運命の岐路となった。 両者はアンカラの戦いで激突した。 兵力は互角であったが、優勢な騎兵を活用したティムールが勝利し、 バヤジットは捕虜となってしまった。 その後ティムールは丁重に扱ったとされるが、間もなく失意からか病死した (自殺・毒殺という説もある)。 バヤジットの死後オスマン帝国は分裂し、 バヤジットの息子達が覇権を巡って戦う内乱へと突入した。 この内乱はメフメト1世が勝利するまで約10年帝国の間続いた。
バヤジットはそのあだ名の通り用兵に優れ、帝国の領土を拡大した。 しかし、世の中上には上がいた。 ティムールと敵対し、戦って破れ、その成果を全て失った。 バヤジットが劣っていたわけではない。相手が悪かったという他無い。 人生万事塞翁が馬である。

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