バイバルス

[中東−中世]

イスラム三大英雄の一人で、マムルーク朝の5代目スルタン。 キプチャク平原の遊牧民の出身であったが、モンゴルの侵入により奴隷となり、 エジプトのアイユーブ朝に買われ、マムルークとなった。 片目に障害があったが、武勇に優れ、 聖王ルイの十字軍を破るのに大きな貢献をした。 後マムルーク朝初期の混乱期に主人のアクターイを殺害され、 シリアを放浪したが、アクターイを殺したクトゥズと和解し、 配下となった。 アイン=ジャールートにてモンゴルの別働隊を破るが、 クトゥズに疎まれたため、先手を打って殺害し、自らスルタンとなる。 王朝の権威付けのために傀儡のカリフを立て、国内の駅伝を整理、 またモンゴルのイル汗国や十字軍諸国に対抗するため モンゴルのキプチャク汗国やビザンツ帝国等と同盟するなど辣腕を振るった。 また、十字軍諸侯のアンティオキア公国を滅ぼすなど外征でも成果を挙げた。 しかし、遠征の帰途急死した。 深酒のためとも毒殺とも言われる。 死後、二人の息子バラカ・サラーミシュは暗愚或いは幼少であったため廃され、 政権はマムルークの武将カラーウーンとその一族に受け継がれた。
バイバルスはヌール=ウッディーン・サラディンと並ぶイスラムの英雄であり、 その墓はダマスカスのサラディンの墓の隣にある。 エジプトではサラディン以上に人気があるらしいが、 国外ではそれ程でもない。 確かにバイバルスの軍事手腕はサラディンを上回っており、 政治手腕も決して引けをとらないだろうが、 捕虜にも寛容を示したサラディンと違い、 バイバルスは敵に対して断固たる態度を示し、アンティオキアでは虐殺も行った。 そのため国外での人気はサラディンに及ばないのだろう。

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