トラファルガーの海戦(トラファルガーのかいせん)

[ヨーロッパ−近代]

スペインのトラファルガー岬沖で行われた フランス・スペイン連合艦隊とイギリス地中海艦隊の間の戦い。 ナポレオンのイギリス本土進攻を完全に頓挫させた戦いである。 ナポレオン率いるフランス軍は大陸では優勢であったが、 制海権はイギリスに握られ海上封鎖をされていた。 この状況を打破するため、 ナポレオンはフランスとスペインの連合軍によるイギリス本土への侵攻を計画した。 フランスでは地中海のツーロン艦隊司令長官のトレヴィルによって実施される予定であったが、 病死したため後任のヴィルヌーヴに引き継がれた。 計画は度々変更されたが、 最終的に各地の艦隊を一旦アメリカの西インド諸島まで移動させて合流し、 イギリス海峡に突入する作戦が実行された。 しかし大西洋側のブレスト艦隊は封鎖を突破できず、 中途半端な状態でヨーロッパに帰らざるを得なかった。 度重なる大西洋横断で疲弊した艦隊はスペイン北部のフィニステレ岬の海戦で 大西洋側にいたイギリス艦隊に敗北し、 スペイン南部まで撤退した。 この時点でイギリス侵攻計画は中止され、 整備を終えた艦隊はイタリアのナポリ攻撃のため出撃した。 この時点でツーロンで一旦回避したネルソン率いる地中海艦隊に遭遇、 交戦した。 数の上ではフランス・スペイン連合艦隊が優勢であったが、 練度はイギリス軍に劣り、特にスペイン軍との混成により指揮系統が混乱していた。 ネルソンは後世「ネルソン・タッチ」と呼ばれる二列縦隊による突破を行い、 敵を分断した上で壊滅させ、提督のヴィルヌーヴすら捕虜とすることに成功した。 イギリス軍の圧勝ではあったが、ネルソン自身は戦闘中に狙撃され戦死した。
この海戦によってフランス艦隊は壊滅し、 ナポレオンは制海権とイギリス侵攻を完全に諦めざるを得なくなった。 この直後大陸ではアウステルリッツの戦いの勝利によって フランスの優勢を固めることができたが、 イギリス本土に打撃を与える手段が失われたことで 常にイギリス対策に頭を悩まされることになった。 トラファルガーの海戦は直接フランスに打撃を与えるものではなかったが、 後の大陸封鎖令・ロシア遠征を引き起こし ナポレオンを没落へと導く切っ掛けとなった戦いであった。

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