[ヨーロッパ−近代]
普仏戦争における会戦の1つで、
プロイセン軍がフランスの大軍を破り皇帝ナポレオン3世を捕虜にして
戦争の大勢を決した会戦。
フランスは開戦当初こそ勝利したもののすぐに反撃され、
主力のライン軍はメス要塞で包囲された。
皇帝ナポレオン3世はマクマオン将軍と共に編成されたばかりのシャロン軍を率い、
メスへ救援に向かった。
その際攻囲するプロイセン軍との直接対決を避けて迂回したが、
ボーモンでプロイセン軍に捕捉され敗北した。
フランス軍は立て直しのためセダン要塞に入り、
包囲するプロイセン軍を迎え撃った。
フランス軍は包囲突破を試みたが失敗し、
特にプロイセン軍の新型野戦砲を持った砲兵部隊によって終始劣勢に立たされ、
遂に抗戦を断念し降伏した。
この戦いでシャロン軍が降伏して残ったライン軍は孤立し、
フランスの勝利は絶望的となった。
しかし皇帝が降伏したことで暴動が発生し、
ナポレオン3世が廃位され臨時政府が樹立されたことで戦争は継続された。
とは言え臨時政府が退勢を覆すことはなく首都パリは包囲され
メスでライン軍が降伏し敗戦を迎えることになった
この戦いのフランス軍(シャロン軍)の兵数はプロイセン軍よりやや劣勢であったが、
それ以上に士気の差と兵器、特に大砲の性能の差が大きく、
プロイセン軍の2倍の損害を受け終始劣勢のまま敗北した。
この後ヨーロッパ大陸はフランスに代わって
プロイセンが外交の主導権を握ることになるが、
それを象徴する戦いとなった。