[ヨーロッパ−近代]
普墺戦争における会戦の1つで、
プロイセン軍がオーストリア軍を包囲撃破したことで戦争全体の勝敗を決定づけた会戦である。
当時歩兵銃は前装銃が主流であったが、
プロイセン軍は後装式ボルトアクションのドライゼ銃を装備させており、
その他大砲の性能や鉄道網などでオーストリアを圧倒していた。
加えて参謀総長モルトケは電信と鉄道を活用し3個軍を自在に動かして戦局を優位に進め、
当時オーストリア領であったチェコのケーニヒグレーツ近郊で決戦に至った。
最初クルム高地に布陣するオーストリア軍に対し
プロイセン軍は劣勢な2個軍(第一軍・エルベ軍)で攻撃し苦戦を強いられたが、
遅れて第二軍が到着し包囲が完成するとオーストリア軍は崩れ、
多大な犠牲を出しながら退却した。
参謀本部にはさらに進軍し首都攻略を望む者もいたが、
首相ビスマルクはドイツ統一達成のための速やかな講和を求め、
フランスの干渉や鉄道網未整備なオーストリア領内での補給が滞ったこともあり、
比較的緩い条件で終戦に至った。
ケーニヒグレーツの戦いは当初兵力優勢なオーストリアが有利と見られていたが、
兵器・指揮系統・補給に優れたプロイセン軍が圧勝した。
モルトケは各個撃破されやすい分進合撃を鉄道の輸送力と電信を用いた密な連絡によって成功させ、
その手腕の評価を高めることになった。