バシレイオス
[ビザンティン帝国]
- ビザンティン帝国で皇帝を表す称号。
下記の人名とはスペルが異なる。
- ビザンティン帝国皇帝バシレイオス1世。
マケドニア朝の初代皇帝。
ギリシア北部のマケドニアに移住したアルメニア人農民の子として生まれ、
その膂力によって時の皇帝ミカエル3世に見出された。
当時の実力者で皇帝の叔父バルダスを暗殺し、副帝となったが、
軍や市民の人気が無かったため、解任されそうになった。
そこで逆に皇帝を暗殺し、自らが皇帝として即位した。
卑賤の身から穏やかとは言えない方法で皇帝となったが、
彼の即位以降ビザンティン帝国はその最盛期を迎えることになるのである。
- ビザンティン帝国皇帝バシレイオス2世。
マケドニア朝の最盛期を築いた皇帝。質実剛健な武人皇帝である。
特に対ブルガリア戦争に勝利し、「ブルガロクトノス (ブルガリア人殺し) 」
のあだ名がつけられた。
実の父ロマノス2世が若くして死去したため、
母の再婚相手であるニケフォロス2世、
ヨハネス1世といった皇帝の飾りとしての共治帝として幼少期を過ごした。
ヨハネス1世の死後、晴れて皇帝らしい皇帝となったが、
内乱やブルガリア人の侵攻に悩まされた。
しかし、その手腕を発揮して内乱を鎮圧し、
(第1次) ブルガリア帝国を滅ぼすことにも成功した。
特にクレディオン峠の戦いでは、捕虜を1万人以上得たが、
その内 99% を目を潰してブルガリアに送り返し、
ブルガリア王をショック死させたという逸話が残されている。
このため、「ブルガロクトノス」と呼ばれるようになった。
若いときは不遇であったが、
こうして最強の皇帝に相応しい絶対権力を得るに至った。
また、対イスラム勢力や南イタリアでも勝利し、
帝国の全盛期を築いた。
領土はユスティニアヌス時代の方が広かったが、
国内の安定度ではバシレイオスの方が勝ったため、
この時代を帝国の全盛期と見なすのが一般的である。
また、反乱鎮圧に助力してもらった縁で、
キエフ公国の大公ウラディミールと政略結婚し、
ルーシへ東方正教会の勢力を拡大させることにもなった。
バシレイオス2世は嗣子無く没したため、
弟コンスタンティノス8世が跡を継いだ。
彼の死後、ビザンティン帝国は衰退を始めることになる。
見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る