[ヨーロッパ−近世]
ポルトガルの航海者で、ヨーロッパで初めて喜望峰に到達した人物。
英語読みで「バーソロミュー=ディアス」と呼ばれることもある。
祖父の代から航海者としてポルトガル王家に仕えていた。
その縁もあってか、アフリカ周回遠征の隊長に任命され、
3隻の船を率いて出航した。
この航海ではアフリカ南部で嵐に遭って陸から離れ、
再び陸地に戻ったときには既にアフリカ南端を通過してアフリカ東側を北上していた。
そのためアフリカ最南端到達は帰り道のことであった。
本来はこのまま北上して伝説の「プレステ=ジョアン(プレスター=ジョン)」
の王国に接触する任務もあったが、
これ以上の航海は難しかったようでインド航路の目処が立ったところで引き返した。
帰国後ジョアンは苦難の記憶からか最南端の岬を「嵐の岬」と報告したが、
インド航路の目処が立ったことを喜んだポルトガル王ジョアン2世が
「喜望峰」に変えさせたと言われる。
その後ヴァスコ=ダ=ガマの遠征にも途中まで案内人として同行したり、
カブラルのブラジル探検(正確にはインド行きの途中での漂着)に従ったりした
(ガマやカブラルの方が格上であるためディアスは従う立場だった)が、
その後インドに向かう途上で海難事故のため死去した。
ディアスが到達した喜望峰は中間地点の扱いでコロンブスやガマほど有名ではないが、
その功績は決して劣るものではないと言えよう。