ポール=バラス

[ヨーロッパ−近代]

フランス革命期の政治家。 総裁政府の中心人物であったが、腐敗ぶりから「悪徳の士」と呼ばれる。 正式名称はバラス子爵ポール=フランソワ=ジャン=ニコラ。 南仏プロヴァンスの没落した名門貴族の家に生まれた。 主に経済的な理由で軍隊に入り、 インドでの植民地戦争に参加してイギリス軍の捕虜となったが、 後に釈放されて帰国した。 階級は大尉まで昇進したが、 この頃既に金銭トラブルを起こし後の汚職政治家の片鱗を見せている。 フランス革命が勃発すると革命を支持してジャコバン=クラブに加わり、 国民公会の議員となった。 国王ルイ16世の処刑には賛成し、これが後の王政復古時に問題となる。 元軍人ということで派遣議員として前線へ赴き、 イタリア方面軍でナポレオンと知り合った。 しかし職権を乱用して捕虜となった住民を処刑した上財産を没収し、 公金横領疑惑のためパリに召喚された。 当時政権を握っていたはロベスピエールは釈明を聞き入れなかったため、 身の危険を感じたバラスは仲間と共に先手を打って テルミドールのクーデターを起こし、 ロベスピエール一派を処刑した。 その後政権の有力者となったが、 有力商人や銀行家と結託して汚職に邁進した。 当然政情は安定せず、ジャコバン派・王党派の反乱が起こり、 バラスは総司令官に任命された。 ここでバラスは知己であったナポレオンを副官に任命し、 その力で反乱を鎮圧した。 総裁政府が発足すると総裁の一人となり、 生き残りの才能(だけ)はあったバラスは最期まで地位を保った唯一の総裁となった。 とは言えひたすら私腹を肥やし豪勢に暮らすばかりで民衆には人気が無かった。 そんな中バラスの愛人の一人ジョゼフィーヌがナポレオンと結婚し、 そのコネもあってナポレオンは司令官となってイタリア遠征を成功させ、 英雄として人気を集めてバラスの地位を脅かすようになった。 バラスは巻き返しのためルイ16世の弟プロヴァンス伯と交渉し 王政を復活させようとしたが、 ナポレオンによってブリュメールのクーデターを起こされ失職した。 バラスは蓄えた巨万の富は没収されず優雅な隠遁生活を送っていたが、 ナポレオンに対する誹謗中傷の罪で国外追放となり、 諸国を転々とした後パリへの立ち入り禁止を条件に帰国を許された。 ナポレオンが没落し王政復古が成されると、 ルイ16世の処刑に賛成したことと ナポレオンの百日天下を支持した嫌疑で処分が検討されたが、 証拠が不十分ということもあり監視のみとなった。 その後は贅沢な余生を過ごしパリ近郊で没した。
バラスは革命のドサクサでのし上がったとんでもない汚職政治家であったが、 失脚後も処刑はおろか財産を没収されることもなく、 比較的平穏な晩年を過ごした。 ナポレオンが強硬手段を取らなかったのは、 自分を引き立てた元上官である上に妻ジョゼフィーヌの元愛人ということで 遠慮していたからであろうか。 運のいい悪党である。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る