バルクーク

[中東−中世]

ブルジー=マムルーク朝の初代スルタン。 カフカス (コーカサス) 出身のチェルケス系マムルークで、 奴隷商人アスアルディーによってカイロで売られ、 カイロの城塞を本拠地とするブルジー=マムルーク軍団に入った。 彼はその才覚で頭角を現し、軍団のリーダーとなった。 当時のバフリー=マムルーク朝はカラーウーンの子孫が 傀儡のスルタンとして立てられていたが、 政権は弱体化していた。 バルクークは軍部の支持を得てクーデターを起こし、 自らスルタンとなった。 これ以降の王朝をブルジー=マムルーク朝と呼ぶ。 しかし、即位後に自分と同郷のチェルケス系を優遇したため、 他の地域出身者の反乱を招き、一旦廃位された。 その翌年反撃して勝利し、復位した。 領内の反乱の平定後はオスマン帝国と同盟してティムールの西進に対抗した。
バルクークは軍事手腕に優れ、自らの王朝を開いた。 しかし、安定政権を築くまでには至らず、 以後ブルジー=マムルーク朝は実力者が軍事力を背景に即位する形となった。 そのためマムルーク同士の内部抗争はさらに激しくなった。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る