[ヨーロッパ−近世]
ドイツの音楽家で、「音楽の父」と呼ばれる。
後世作曲家として名を残したが、存命時はオルガン奏者として知られていた。
ルター派の音楽家の末っ子として生まれ、他の一族の者と同様音楽家となった。
ヴァイマルの宮廷楽団でヴァイオリンを担当していたが、
オルガンでも優れた演奏を披露しでオルガニストに採用された。
子沢山で常に高給を求めており、ドイツ各地を転々としながら演奏の仕事の合間に作曲をしていた。
ただこのような姿勢でトラブルも絶えず、
勝手に他の契約を結んだ咎で離職を拒否されたあげく投獄され、
解任されたりもしている。
晩年には息子が仕えていたフリードリヒ大王を訪問し、後に「音楽の捧げもの」を作曲するが、
視力の悪化から手術を受けるも失敗し、後遺症や薬の副作用で衰弱して死去した。
バッハは作曲家としてはほぼ無名でその死後忘れ去られていたが、
古典派のモーツァルトやベートーヴェンからは評価されてマニアックな作曲家として伝えられていた。
メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を公演したことを切っ掛けに一般にも知られるようになり、
「音楽の父」の評価が定着し音楽の教科書に登場するようになった。
後世ドイツ・オーストリアが音楽の中心となったことで再評価されるようになったとも言える。