[中米−中世・近世]
メキシコ中央部で栄えた国家。
周辺諸国を征服して当時のアメリカ大陸としては広大な領土を支配したため
「アステカ帝国」とも呼ばれる。
始めテノチティトラン(今のメキシコシティー)に建国された小国であったが、
ライバルと同盟して宗主国であったアスカポツァルコを滅ぼし強国となった。
アステカはメキシコ湾岸、次いで太平洋岸に度々遠征して征服したが、
直接統治はせず貢物を取って自治を任せていた。
これら被征服地では反乱が度々起こったが、それは武力で鎮圧した。
そのような国家の性格上軍国主義、或いは武断統治と言うべき国であった。
このような非効率とも思える遠征の数々は専ら捕虜を獲得するために行われた。
アステカにおいて特徴的なのは宗教的理由で行われた人身御供である。
アステカの神としてはケツァルコアトルとテスカポリトカが有名だが、
主に信仰されていたのは太陽神ウィツィロポチトリと穀物神シペ=トテックである。
何れにしろ世界を維持し自然から恵みを得るためには生贄が必要と考えられ、
毎日のように奴隷が、特に重要な神事には貴人が生贄となり心臓を捧げられた。
これには戦争で得た大勢の捕虜も用いられた。
ちなみにコルテスと同盟してアステカ滅亡に加担したトラスカラも
同じように捕虜を生贄に捧げていた。
こうして血塗られた繁栄を築いていたアステカであったが、
スペインのコンキスタドールであったコルテスによって滅ぼされた。
強大なアステカであったが、スペイン軍の少数だが銃や馬などの優れた軍事力、
トラスカラを始めとした周辺諸国の力、
さらに白人で十字架を掲げていたコルテス一行を
神「羽毛の生えた蛇」ケツァルコアトルと誤解したことなどが重なり、
敗北して王は捕らえられ(後に処刑された)滅ぼされた。
首都テノチティトランは徹底的に破壊され、廃墟にメキシコシティーが建てられた。
またスペイン人が意図せず持ち込んだ疫病によって先住民の多くが死亡し、
100年間で人口が9割以上減ったとされる。
アステカは「悪の帝国」と言われても仕方の無い血塗られた国であったが、
さらに暴虐を振るうことになるスペインに滅ぼされた。
ただし生贄は傍から見れば野蛮極まりない悪行であったが、
当事者にとっては神の下に赴く名誉なことであり、
奴隷でも神事なでは丁重にもてなされた。
また統治は間接的であったが、覇権を維持するため道路網が整備され、
物々交換、或いはカカオ豆を通貨代わりとする交易が発達し、
地域の発展に寄与した一面もあった。