オーストリア帝国(オーストリアていこく)

[ヨーロッパ−近代]

神聖ローマ帝国解体後にオーストリア大公国を母体として形成された国家。 ナポレオンが戦勝後にライン同盟を結成して名前だけは残っていた 神聖ローマ帝国を消滅させると、 皇帝の地位を世襲していたオーストリアは権威を保持するため 新たにオーストリア帝国を形成しオーストリア皇帝を名乗った。 ナポレオン退位後のウィーン会議でオーストリアは ネーデルラントなどの飛び地を譲渡し、 代わりに北イタリアのロンバルディア・ヴェネツィアを獲得した。 ウィーン体制時代はメッテルニヒ主導で反動的な政策を採っており、 ドイツ三月革命でメッテルニヒが失脚したものの革命は鎮圧され、 独立を望む諸民族を抱えながら反動保守的な政策は維持されることになった。 革命中のフランクフルト国民会議では オーストリアのドイツ人居住地域を統一ドイツに含める大ドイツ主義が提唱されたが、 バルカン半島に多くの民族を抱えるオーストリアは国内の分断を招くこの主張を認めず、 オーストリアはドイツ統一の動きから離れていくことになった。 さらにクリミア戦争不参戦によって列強との関係が悪化し、 イタリア独立戦争でフランスを敵に回すことになり 結果として北イタリアの大部分をサルデーニャ・イタリア王国に奪われることになった。さらに普墺戦争でプロイセンに敗れたことで権威が大幅に低下し、 独立運動を抑えるためにドイツ系に次ぐ勢力であったハンガリーと妥協 (アウグスライヒ) し、 オーストリア=ハンガリー帝国として再編成された。 しかしその後も諸民族の独立運動は燻り続け、 フランツ=フェルディナント大公がセルビア人に暗殺されたことを切っ掛けに 第一次世界大戦を引き起こすことになった。 オーストリアは大戦で敗戦国となり、 帝国は解体されオーストリア共和国を始めとする諸国家が建国された。

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