アテネ

[ギリシア]

現在のギリシアの首都であり、 古代においても最大のポリスの一つであった都市。 古代女神アテナにちなみアテナイと名付けられた (ちなみにアテナはオリエントの狩猟の女神アナトを元にしている) イオニア人の都市国家は、 付近に耕地が乏しかったことと地形的に良港が建設できたことで、 専ら海上交易に力を入れることとなった。 平民の力が向上すると、政権を握っていた貴族との間で争いが起こり、 そこから古代ギリシア式の民主主義が生まれた。 今とは違い、全員参加の直接民主主義であったが、 同時に奴隷の存在を前提としていた。
アケメネス朝ペルシアの支配に抵抗して起こったペルシア戦争は、 アテナイにとって大きな転機となった。 優秀な海軍を持っていたアテナイは、 戦争の終わる頃にはギリシア全体の中心的存在となっていた。 さらに、ペルシアに備える名目でデロス同盟を結ぶと、 同盟の管理者としてのアテナイの立場はより明確になった。 当時のアテナイは事実上将軍ペリクレスの支配下にあったが、 この時がアテナイの全盛期であった。 政治だ けでなく、 建築・彫刻・哲学等の文化面でもギリシアどころか世界でも最先端を行く都市であった。 しかし、ペリクレスの失脚・没後、 デロス同盟の資金の私物化等が問題となり、 ペルシアの干渉もあって、他のポリスとの関係が険悪となった。 結果、スパルタを中心とするペロポンネソス同盟との戦いに敗れ、 アテナイの政治的地位は凋落した。 その後暫くはアテナイは政治の表舞台には出てこない。 文化的にはその後も中心で有り続けたが、 キリスト教の普及とローマ皇帝コンスタンティヌスによるコンスタンティノープルの建設によって、 その地位までも失ってしまう。
アテナイ改めアテネが再び陽の目を見るのは、 ギリシアがオスマントルコから独立し、近代ギリシアが成立した時だった。 この歴史ある都市はギリシアの首都となり、 現在もギリシアの中心としての役割を果している。 もっとも、 ギリシアそのものが当時ほど大きな存在では無くなってしまったのだが。

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