[ヨーロッパ−近代]
イギリスの軍人・政治家。
初代ウェリントン公爵であり、
ワーテルローの戦いでナポレオンを破った将として知られる。
アイルランド貴族の三男としてダブリンで生まれ、
イングランドの名門イートン校に通ったが、
父の死で経済的に苦しくなって退学し、
大陸に渡って乗馬学校を経てフランスの士官学校に入学した。
士官学校の卒業後にイギリス陸軍に入隊し、アイルランド総督の副官を務めた。
フランス革命戦争が始まるとこれに参戦したが、
敗戦で退却戦を支援したのが初陣であった。
その後インドに派遣され、
インド総督となった兄の部下として植民地拡大戦争に従事した。
帰国後は庶民院議員として政治家にもなったが、
ナポレオンがスペイン・ポルトガルに侵攻すると援軍の司令官に任じられ、
イベリア半島に派遣された。
アーサーは司令官としてナポレオン配下のマッセナやスルトらの諸将と戦い、
最終的にフランス軍に対して勝利を収め、その戦功によって元帥に昇進した。
さらにナポレオンがロシア遠征の失敗によって苦境に陥ったのを受け、
フランス領内に侵攻し、
南仏のトゥールーズを陥落させた所でナポレオン退位に知らせを聞いた。
これまでの一連の功績によってウェリントン公爵となり、
英雄として凱旋帰国を果たした。
戦後処理のウィーン会議にも出席したが、
ナポレオンがエルバ島を脱出すると軍を率いてこれを迎え撃ち、
ワーテルローの戦いを司令官として勝利に導き
「ナポレオンに勝利した将軍」となった。
戦後はフランス占領軍司令官として占領統治を行い、
占領軍の撤収後に帰国した。
その後は保守派の政治家として補給庁長官、陸軍総司令官を歴任し、
さらに首相まで務めた。
しかし保守的な性格が災いして軍制改革に及び腰になり、
イギリス軍を弱体化させることになったとも後世批判されることになった。
ウェリントン公アーサーはナポレオンを破った将軍として有名であり、
ナポレオンと比べると手堅い戦術をとり功績を誇ることも少ない真面目な人物であった。
本流のイングランドではなくアイルランド出身であったが、
性格は良くも悪くも貴族的で、
紳士的に振る舞う反面高慢で兵や民衆を見下すこともあり、
ナポレオンのようなカリスマ性はあまり無かったようである。
後年政治家になったものの本人も軍人の方が本分と考えていたようであり、
アーサー自身が辣腕を振るうことはあまり無かった。
思想的には保守的で、王や貴族院を重視し庶民院を危険視しており、
特に軍の統帥権が議会に握られることを恐れていた。
そのため軍制改革に及び腰となり、
軍の近代化を遅らせることになってしまった。
アーサーもライバルのナポレオン同様戦場でこそ輝く人物だったようである。