[ヨーロッパ−中世]
百年戦争時のフランス軍司令官。晩年ブルターニュ公にもなる。
当時ブルターニュ半島の独立勢力であったブルターニュ公の子として生まれ、
フランスでブルゴーニュ公の後見を受けて育った。
後にブルゴーニュ公となるフィリップと義兄弟となる。
イングランド侵攻時のアジャンクールの戦いに参戦したが捕虜となり、
兄であるブルターニュ公ジャンが身代金を払ったものの、
イングランド王ヘンリー5世がリッシュモンを警戒して釈放されなかった。
王の死後摂政ベッドフォード公と対立し、
フランスに帰ってイングランドとの戦いに身を投じた。
また兄ブルターニュ公も影響を受けて新仏反英となった。
帰国後その血筋とコネで元帥となり、
王太子軍の司令官となった。
しかし、カタブツな性格と
当時イングランド側に着いていたブルゴーニュ公フィリップとの仲が災いし、
王太子シャルルによって追放されてしまった。
それでもジャンヌ=ダルクのオルレアン解放以後の戦いに協力し、
実質的な司令官としてフランス軍を勝利に導いたが、
やはりカタブツさと恵まれ過ぎている血筋が災いして、
ジャンヌと共に戦った将軍達とも不仲となってしまった。
結局ランスの戴冠式には参加できなかった。
しかし、ジャンヌが処刑されるとフランス王に対する反発が強まり、
それを背景にリッシュモンは王の寵臣ラ=トレムイユを幽閉し、
総司令官に返り咲いた。
その後イングランドと戦う一方、
義兄ブルゴーニュ公フィリップと王シャルルを和解させ、
また軍の改革を行い主力を傭兵から常備軍へと移す先駆けとなった。
この改革は後の絶対王政の礎となった。
最終的にイングランドを一部都市を除いて大陸から追い出し、
百年戦争はフランスが勝利したが、
最大の立役者はリッシュモンであった。
晩年兄の血筋から男子が絶え、リッシュモンがブルターニュ公となった。
この間フランス王の臣下と独立君主の立場を兼ねた微妙な立場となったが、
そのために後世の評価も微妙なものとなったしまったらしい。
百年戦争、特に後期の英雄として有名なのはジャンヌ=ダルクであるが、
活動期間と実際に行ったことを考えれば最大の貢献者はリッシュモンである。
ジャンヌがその特異性と推薦者ナポレオンの名声のため目立っているが、
百年戦争勝利によるフランス国家の確定と
兵制改革による絶対王政への筋道をつけたことの歴史的意義は大きく、
歴史上の重要性も最大であったと言えよう。
ついでにブルゴーニュ公はフランス王との和解後低地諸国に勢力を広げており、
オランダ・ベルギーの歴史にも (間接的に) 大きく関わったとも言える。