[ヨーロッパ−近世]
スペインとイングランドの間で起こった海戦。
スペイン没落・イングランド隆興の最初の切っ掛けとなった戦いである。
「アルマダ」はスペイン語で艦隊を意味し、俗に「無敵艦隊」と呼ばれる。
ただし無敵艦隊は専ら敗れたスペイン艦隊を揶揄する呼び名である。
スペイン王フェリペ2世はイングランド女王メアリと結婚し共同統治王であったが、
メアリの死後即位したエリザベスはプロテスタント化を推し進め、
熱心なカトリックであったフェリペと対立した。
さらに私掠船を用いてスペイン商船を襲い、
さらにスペインから独立しようとしたオランダを支援したことで対立は深まり、
エリザベス排除の陰謀でスコットランド女王メアリ=スチュアートを処刑したことで
決定的となった。
そこでスペイン側では海戦の英雄サンタ=クルス候が中心となって
イングランド侵攻計画が練られた。
しかしサンタ=クルス候が病死したため、
艦隊司令官は行政官であったメディナ=シドニア公が着任した。
公は海戦の素人であったため辞退したが、
血筋を重視したフェリペ王が人事を強行したと言われる。
スペインは多くの植民地を持つ強国であったが、
その海軍は地中海の戦闘が中心でガレー船が多かった。
対してイングランドは機動力に優れた外洋帆船で構成され、
大砲は威力と数で劣るものの、射程で勝っていた。
司令官のチャールズ=ハワードはやはり海戦の素人であったが、
副司令官以下はドレイクを始めとする海賊上がりの達人で構成され、
専ら用兵は彼らに任されていた。
両艦隊はプリマス沖・カレー沖・フランドル沖の3回戦ったが、
本国に近く補給に有利だったイングランドが優勢で、
スペイン艦隊は撤退に追い込まれた。
スペイン艦隊は帰路で水と食料の不足に悩まされ、
特にアイルランド沖で離脱した船は多くが難破して多大な犠牲者を出した。
推定によると戦闘での被害に対し沈没船は5倍、
被害人員は10倍以上であったとされる。
この勝利によりイングランドの国威は大いに高まった。
しかしその後のイベリア半島逆侵攻の失敗により戦争そのものの勝利には至らず、
植民地の覇権はしばらくスペインが保つこととなった。
この戦いはその知名度に反し、
実際の戦争に対する影響は限定的であった。
だがこの戦いの勝利が後の大英帝国の最初の切っ掛けであった。
この辺りの事情はオスマン帝国のレパントの海戦と似ているかもしれない。