オーストリア大公国(オーストリアたいこうこく)

[ヨーロッパ−中世・近世]

神聖ローマ帝国内の領邦の一つで、ハプスブルク家の領土の中心。 オーストリアはカール大帝が設けたオストマルク辺境伯領の流れを汲む領邦であったが、 ハプスブルク家のオーストリア公ルドルフ4世はそれまで存在しなかった「大公」の地位を自称した。 その後ハプスブルク家が皇帝及びオーストリア公を世襲するようになったが、 皇帝フリードリヒ3世が帝国法を改正し「大公」の称号を正式なものとした。 以後オーストリアがハプスブルク家と神聖ローマ帝国の中核であり続け、 30年戦争によって神聖ローマ帝国が有名無実化すると、 「オーストリア」がオーストリア以外(ボヘミア・ハンガリー・フランドルなど) も含めたハプスブルク家の領土の呼称となった。 例外的に皇帝と大公が別人となったのがフランツ1世とマリア=テレジア夫妻であるが、 名目だけの皇帝であったフランツ1世ではなく、 オーストリア大公であったマリア=テレジアが実権を握ることになった。 ナポレオン戦争の最中ハプスブルク家領は「オーストリア帝国」として再編され、 名前だけの存在であった神聖ローマ帝国が解体されたことで「大公国」も消滅した。 ただし「大公」の称号はそれ以降もハプスブルク家の成員の間で用いられ続けた。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る