アントニヌス=ピウス

[ローマ帝国]

五賢帝の一人。 本名ティトゥス=アウレリウス=フルウス=ボイオヌス=アリウス=アントニヌス(長い!)。 ピウス(敬虔)は即位の際に元老院から送られた称号である。 南フランスの名家の出身で、自身も元老院議員であったが、 ハドリアヌスに見出され養子・後継者となった。 ハドリアヌスの死後即位して最初の仕事は、 養父ハドリアヌスを弁護し功績抹消を阻止することであった。 ピウスの治世はあらゆる面で養父ハドリアヌスとは対照的であった。 帝国各地を巡察して防衛を固めた反面粛清も行って元老院の評価を下げたハドリアヌスに対し、 ピウスはローマから動かずあくまで協調を旨とした。 後世の歴史家からは 「アントニヌス帝の時代に歴史は無かった」 と言われるほど治世は平穏無事に終わった。 ハドリアヌス帝との約束通りマルクスを後継者として、 またハドリアヌスのもう一人の養子の子ルキウス=ウェルスを共治帝として世を去った。
一般にトラヤヌスが「最良の皇帝」と言われるが、 同時代人にとってはアントニヌス=ピウスこそその名に相応しいのではないだろうか。 (歴史家を喜ばせるために皇帝をやっているわけではないのである。) 彼の治世は平穏無事に終わったが、その間ゲルマン人の侵攻が無かったわけではない。 ハドリアヌス帝の完備したシステムとピウス帝の的確な判断、 前線部隊の迅速な行動により大事に至らなかっただけである。 何より彼には強靭な精神力と自制心があった。 漢の文帝と武帝と同様、名君とは何か考えさせられる人物である。

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