[ヨーロッパ−中世]
ノヴゴロド公にしてウラジーミル大公。
スウェーデン・ドイツ騎士団を打ち破った名将で、ロシアにおける英雄。
若い頃からウラジーミル大公だった父に評価され、ノヴゴロド公の地位に就いた。
当時のロシアはバトゥ率いるモンゴルに蹂躙されていたが、
北辺のノヴゴロドは誼を通じていたこともあり攻撃対象とはならなかった。
その代わりスウェーデン・ドイツ騎士団といったヨーロッパ勢力から狙われていた。
遂にビルゲル率いるスウェーデンの侵略を受けたが、
ネヴァ川河畔で伏兵によって打ち破り、敵将ビルゲルすら討ち取った。
この勝利により、後世「ネヴァ川の勝利者=ネフスキー」と呼ばれるようになった。
しかし、その後親ドイツ派の有力者と対立し、
当時の公の権力がそれ程強くなかったこともありノヴゴロドを追放された。
しかしその後のドイツ騎士団の侵攻によって親ドイツ派は失脚し、
アレクサンドルは公に復帰した。
さらにチュド湖上の戦い(氷上の戦い)でドイツ騎士団に勝利し、
さらに勇名を高めた。
その後モンゴルのジュチ=ウルスとは敵対せずに従属し、
逆にその後ろ盾を利用して弟との政争に勝利してウラジーミル大公となり、
権力と権威を高めた。
最期はジュチ=ウルスのサライ訪問の途上で43歳の若さで病死した。
その死後早くから聖人視されるようになり、後世正式に列聖された。
現在でもアレクサンドル=ネフスキー大修道院にその名を残している。
ノヴゴロド公は弟のヤロスラフが継いだ。
ヤロスラフとアレクサンドルの仲は良かったが、両者の死後子孫は対立し、
アレクサンドルの末子ダニール公の家系のモスクワがノヴゴロドを併呑するに至った。
アレクサンドルはスウェーデン・ドイツ騎士団といった西欧勢力に対する勝利で
名将の評価を不動のものとし、ロシア史上最高クラスの英雄とされている。
なお西欧側には戦いの記録がほとんど残っていないが、
当時のスウェーデンは古代日本と同様歴史を残すような状況ではなかった。
また後のモスクワのようにモンゴルの勢力を利用して自家の勢力を拡大させており、
政略にも長けていた。
反モンゴルの立場からは暴君とされることもあるが、
総じて政戦両面に優れた英雄に相応しい優れた人物であると言えよう。