大航海時代(だいこうかいじだい)

[ヨーロッパ・世界−中世・近世]

西ヨーロッパ諸国によるアジア・アメリカへの植民地進出が大規模に行われた時代。 これまでインドなど東方の産物は地中海経由で西ヨーロッパにもたらされていたが、 強大かつヨーロッパ諸国と敵対的なオスマン帝国が東地中海の覇権を握ると これらに高い関税がかけられ、 西ヨーロッパには新たな交易ルートが求められるようになった。 これがスペイン・ポルトガルといったイベリア半島国家の勃興、 また羅針盤の伝来などの技術進歩と重なり、 新たな交易ルートを求めて両国を海外展開させることとなった。 さらにプロテスタントに対抗するため新たな信者を求めたカトリック教会も これを支援し、新たに「発見」された土地で布教活動を行った。 最初に海外進出を始めたのはポルトガルである。 北アフリカのセウタを攻略した後、 東方貿易の実態を見聞したエンリケ航海王子が中心となり、 新たな航路を求めてアフリカ沿岸を南下した。 王子の死後も航路開拓は続き、15世紀中にバルトロメウ=ディアスが喜望峰に、 次いでヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到達し、 インドと西欧の直接貿易を可能とした。 次いで海外進出を図ったスペインは、ジェノヴァ商人コロンボ (コロンブス) の申し出を受け入れ、西回りでインドを目指し、 結果的にアメリカ大陸を発見することとなった。 当初は到達した地がインドでないことに落胆したものの、 大陸内部に進出すると豊富な金銀があることがわかり、 アステカやインカなどの国家を征服して財宝を略奪し、 原住民を酷使して経済が一変するほどの莫大な金銀をヨーロッパにもたらした。 後には西回りでフィリピンにまで到達して征服し、 マゼラン (の生き残った部下) は世界一周を成し遂げた。 この両国の勢力圏が接触し摩擦が生じると、 教皇が仲介してトルデシリャス条約・サラゴサ条約が結ばれ、 勝手に世界を両国で分割した。
両国に遅れて国家体制を整えたイギリス・フランス・オランダといった北部諸国は、 北米を開拓したりインド・アジアに独自の拠点を築いて徐々に両国に追いつき、 やがてオランダがアジアのポルトガル勢力の大部分を駆逐して 取って代わるようになった。 こうして世界中の大部分の土地にヨーロッパ人が到達し、 大航海時代は終焉した。 こうしてヨーロッパ諸国は征服されたアジアやアメリカ原住民の犠牲と引き換えに 繁栄することになった。

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