三十年戦争(さんじゅうねんせんそう)

[ヨーロッパ−近世]

ドイツ・チェコ (ボヘミア) を舞台に30年間断続的に戦われた国際戦争。 ボヘミアの内乱を切っ掛けに始まり、 周辺国の介入により大規模な国際戦争へと発展した。 当時の神聖ローマ皇帝であったハプスブルク家と反ハプスブルク家の戦いであったが、 反ハプスブルク側の主体により4段階に分けられる。

  1. ボヘミア・プファルツ戦争
  2. デンマーク・ニーダーザクセン戦争
  3. スウェーデン戦争
  4. フランス・スウェーデン戦争
最初はボヘミアで熱心なカトリックでそれまでのプロテスタント宥和政策を転換した ボヘミア王フェルディナント2世に対する反乱から始まった。 反乱軍にはプファルツを始めとするプロテスタント諸侯が味方についたが、 皇帝となったフェルディナントが派遣したティリー伯率いる軍によって鎮圧された。 しかし皇帝がプロテスタントに対し財産没収や国外追放といった過酷な処置をしたため、 プロテスタント諸侯の離反を招き戦争は長期化することとなり、 勢力拡大を狙うデンマーク・スウェーデン・フランスといった外国の介入を招くこととなった。 最初に直接介入=侵攻してきたデンマークは 傭兵隊長ヴァレンシュタイン・ティリー伯の率いる軍に破れて脱落した。 ところが皇帝は相変わらず強行処置を行ったため反ハプスブルクの結束は崩れず、 続いてグスタフ2世アドルフ率いるスウェーデンの侵攻を受けた。 戦史に名を残す名将グスタフ2世アドルフ率いるスウェーデン軍は強力で、 皇帝軍の略奪に対して反発した諸侯の協力もあって快進撃を続け、 皇帝側の名将ティリー伯すら敗死させた。 皇帝は一度罷免したヴァレンシュタインを再起用し、 戦いには敗れるもののグスタフ2世アドルフを戦死させた。 その後スウェーデンが王を失って弱体化したことと 名宰相オクセンシェルナの主導により、 後方支援に徹していたフランスが直接介入することとなった。 対する皇帝側は成り上がりと反発が多かったヴァレンシュタインを暗殺し、 軍事力が低下したこともあって劣勢に立たされるようになった。 それでも代替わりした皇帝フェルディナント3世は有利な条件で和平しようとしたが、 軍の敗北を受けて皇帝がプラハからウィーンへ脱出し、 さらに味方だったカトリック諸侯も脱落して、 ついに不利な条件で和平することとなった。 ここで結ばれたヴェストファーレン条約により、 神聖ローマ帝国は名前だけ残して事実上解体となり、 ハプスブルク家は実態としてはドイツではなくオーストリアの皇帝となった。 戦勝国となったフランスはアルザス・ロレーヌの一部を、 スウェーデンは北ドイツの領土を獲得し、 スイス・オランダは独立を承認された。 またプロテスタント諸侯も事実上独立して権益を得たが、 早々に独立したデンマークはスウェーデンと対立して破れ、 バルト海の覇権を失った。 この一連の戦争と同時期に流行したペストによりドイツは荒廃したが、 帝国が解体されたことで現代に続く地方分権の伝統が生まれた。 また一方で勢力均衡による新しい国際秩序が生み出され、 フランス革命期まで続くヨーロッパの情勢が形成された。

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