紀元前4世紀後半の世界

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解説

この時代、主役は間違いなくマケドニアのアレクサンドロス大王でしょう。 彼が20歳で即位してから33歳で死ぬまで、 彼の帝国 (AleksandrosEmpire) は事実上支配下のコリント同盟諸都市 (KorinthosLeagueCountries) を含めると、 東はインド西部から西はギリシア・北アフリカまでの広大なものになります (その大部分はアケメネス朝ペルシアだった部分です) 。 もっとも、大王没後の後継者 (ディアドコイ) 戦争で、 帝国は分割されてしまうのですが。
その頃ヨーロッパの大部分はケルト人 (Celts) の諸部族が暮らす領域でした。 彼らはそれなりに文明的な生活を送っていたようですが、 文字を残さなかったため多くの謎に包まれています。 後の覇者であるローマ (RepublicRome) は共和政の真っ只中であり、 北イタリアのエトルリアはかなり制圧しています。 内部ではパトリキ (貴族) とプレブス (平民) の闘争は落ち着きつつありますが、 サムニウム諸部族やまだまだ旺盛なガリア人、 さらに南のギリシア植民都市とその援軍となるピュロス大王が控えていて、 イタリア制覇はまだまだ先のことです。
フェニキア人の都市国家の多くはアレクサンドロスの軍門に下りましたが、 後にローマと覇権を争うカルタゴ (Carthago) は地理的に遠いこともあり、独立を保って繁栄しています。
インドでは長い間多くの国が乱立し、 特にコーサラとマガダの2大国が覇権を握っていましたが、 マガダ (Magadha) がコーサラを破り、単独で覇権を握りました。 しかし、アレクサンドロス大王が進出してきて、 その撤退後の混乱期に政権交代が起こり、 ナンダ朝に代わってマウルヤ朝が興りました。
中国 (ChinaCountries) では戦国時代真っ只中であり、 熾烈な戦いと百家争鳴の論争が繰り広げられていました。 この時期、西方の大国ながらやや後進国であった秦 (Qin) が、 商[革央]の改革によって国力を増大させ、頭一つ飛び出してきました。 便乗商法とも言える縦横家の蘇秦や張儀が幅を利かせる中、 儒家の孟子は世に受け入れられず、 道家の荘子は我が道を突き進んでいました。 ただ、趙は武霊王の下軍事力を強化させ、 燕は楽毅を招いてこれから強国の仲間入りをする準備期間であり、 秦が優位ながらも他国もまだ強く、戦国の世はまだまだ続きます。
ちなみに日本は縄文時代。まだ国らしきものもありません。

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