紀元前202年頃の世界

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解説

紀元前202年という年は、歴史の大きな区切りの年でした。 この年、西洋ではザマの戦い、東洋では垓下の戦いがあり、 無敵の名将として名高かったハンニバル=バルカスと項羽が敗れています。 そして、勝者であるローマ・漢が次の時代を制することになります。
第2次ポエニ戦役で、ローマ (RepublicRome) はカルタゴ (Carthago) の名将ハンニバルに次々と敗れ去ります。 しかし、ヒスパニアで半ば独立状態であったハンニバルに対し、 カルタゴ本国はほとんど応援らしい応援をしませんでした。 ローマは「イタリアの楯」 ファビウスの持久戦略によってハンニバルの脅威に持ちこたえ、 若きスキピオ=アフリカヌスの登場で反撃に転じます。 スキピオはハンニバルの本拠地であったヒスパニアを占領、 ハンニバルの補給線を断ちます (ちなみにこの時ヒスパニアの剣グラディウスを正式採用しています) 。 さらに北アフリカヌミディア騎兵を味方に引き入れ、 アフリカのカルタゴ本国に迫り、 ハンニバルをイタリアから引き離すことに成功します。 そして、アフリカのザマでハンニバルと戦いついに勝利、 ローマの勝利が確定します。 ただし、ハンニバルは生存しており、 ローマに対する戦いはこの後も続きます。
少し東ではマケドニア (Macedonia) がローマに戦いを挑んでしまいました。 ディアドコイ諸国の中で真っ先に滅亡することになります。 ペルガモン (Pergamon) もこの時点ではまだ健在ですが、いずれ同じ運命を辿ります。 ディアドコイの中で最大領域を誇ったセレウコス朝シリア (SeleukosSyria) ですが、バクトリア (Bactria) 、 次いでパルティア (Parthia) と相次いで独立され、苦しくなってきました。 逆にパルティアはこれから発展することになります。 ディアドコイの中で、プトレマイオス朝エジプト (PtolemaiosEgypt) だけはまだ元気です。 首都アレクサンドリアは文化の中心地であり続けています。
インドはマウルヤ朝 (MauryaDynasty) の天下ですが、 名君アショーカ王の死後滅亡秒読み状態になってしまいまいした。
中国では秦の滅亡後、 漢中王劉邦と西楚の覇王項羽が覇権を争っていましたが、 ついに劉邦が勝利、 前漢 (FormerHan) の高祖となりました。 以後、韓信を始めとする功臣が次々と粛正されていきます。 一方、北方では匈奴 (Tsongnoo) が英主冒頓單于の下力を蓄えています。 間もなく劉邦は自ら匈奴と戦う事になります (これも韓王信を疑ったせいですが) 。 しかし、無敵の項羽や天才韓信ならともかく、 劉の兄貴が勇将冒頓單于に敵うべくも無く見事に敗れ、 以後しばらく漢は匈奴に対して下手に出て貢ぎ物を送り続けることになります。

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