紀元962年頃の世界

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解説

この年、ザクセン家のオットーがローマ皇帝として戴冠を受け、 神聖ローマ帝国が誕生しました。 中国でも宋が誕生しており、分裂の後の新しい体制が生まれつつあります。
ビザンツ帝国 (ByzanzEmpire) はマケドニア朝の最盛期で、テマ制により地方分権が上手く動いています。 この翌年即位するバシレイオス二世は ブルガリア (Bulgaria)・ ハザール族 (Khazars) を征服し、「ブルガリア殺し」の異名で呼ばれることになります。 この頃のビザンツ帝国軍は世界最強でした。
東・中部フランク王家が断絶した後、オットーの戴冠により 神聖ローマ帝国 (HolyRomanEmpire) が誕生しました。 西フランク王国 (WesternFrankKingdom) ももうすぐ断絶し、フランスにカペー朝が生まれ、 西ヨーロッパでは中世を貫く体制が生まれつつあります。
イスラム圏では分裂の時代が続いています。イベリア半島の 後ウマイヤ朝 (LaterUmayyaDynasty) は独自の道を歩んでいます。 チュニジアで生まれた ファティマ朝 (FatimaDynasty) はエジプトを征服し、シーア派の代表としてスンナ派の アッバース朝 (AbbasDynasty) と対立しています。そのアッバース朝もイランの軍人政権 ブワイフ朝 (BuwayhDynasty) に実権を奪われています。
中央アジアには サーマン朝 (SamanDynasty) がありましたが、ブワイフ朝とトルコ系の カラ=ハン朝 (KaraKhan) に押されて衰えています。
インド (India) では、相変わらず分裂状態が続いています。 しかし、間もなくガズナ朝の侵攻によりインドにも新しい時代が到来しつつあります。
東アジアでは北方の契丹族の遼 (Liao) が勢力を伸ばしています。ちなみに遼とは鉄のことで、良質の鉄を作り出していました。
中国 (China) では唐滅亡後の分裂状態が続いていますが、 趙匡胤が宋を建国 (?) し、統一に向かいつつあります。
朝鮮半島では高麗 (Koryu) が科挙制を採用し、文治国家の道を歩んでいます。 この後の厳しい情勢も外交によって乗り切ります。
日本 (Japan) は平安時代真っ只中です。 この後藤原道長が現れ、摂関政治の全盛期を築きます。
ガーナ王国 (Ghana) はまだ繁栄しています。この時点ではまだ危機は現れていません。
アメリカ大陸では独自の文明が発展していましたが、 このころ代表的文明であるマヤ帝国 (Maya) (新マヤ帝国) が生まれています。

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