紀元751年頃の世界

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解説

この年、タラス河畔で唐とアッバース朝が戦いました。 この二超大国がユーラシア世界の大部分を占めていました。
ビザンツ帝国 (ByzanzEmpire) はイスラム勢力に何度も攻められましたが、 首都コンスタンチノープルの防衛に成功しています。 この時点では、それよりもイコン崇拝に対する宗教闘争の方が重大でしょう。
フランク王国 (FrankKingdom) ではカール大帝の父小ピピンがカロリング王朝を開きました (要するにメロヴィング朝を乗っ取ったのですが)。 それに対し西ゴート王国はイスラム勢力に滅ぼされ、 ロンバルド王国 (LombardKingdom) も 滅亡寸前で、フランクが西ヨーロッパ唯一の大国となっています。
かつてビザンツの首都コンスタンチノープルに攻め込んだ アヴァール族 (Avars) は、最早帝国を脅かす力はありません。 ハザール族 (Khazars) は、所謂ステップロードを抑え、それなりに繁栄しています。
イスラム勢力は,アブー=アルアッバースがカリフとなり、 アッバース朝 (AbbasDynasty) が誕生しました。タラス河畔の戦いで唐を破り、マー=ワラー=アンナフル(サマルカンド周辺) の覇権を獲得し、ついでに捕虜から製紙法も獲得しました。 この後信徒の平等化が進み、さらに発展することになります。
インド (India) では、 ヴァルダナ朝の衰退によって分裂の時代に入りました。
東アジアでは、唐 (Tang) は玄宗李隆基の代で最盛期を迎えています。 タラス河畔の敗北も、遥か西の彼方のことで帝国には大した痛手にはなっていません。 しかし、国内の方が乱れ、後の安史の乱によって唐は衰退します。
また、その北方ではウイグル (Uyghur) が建国されました。後の唐の内乱を利用して発展することになります。 また、北東では渤海 (Pohai) が唐や日本との交易で発展しています。
朝鮮半島では新羅 (Silla) が覇権を握りました。
日本 (Japan) は奈良時代、遣唐使の全盛期(?)と言えるでしょう。
サハラ砂漠以南のアフリカでは、 キリスト教のアクスム王国 (Axum) は、イスラム教の大勢力に対しても独自の道を進んでいます。 ガーナ王国 (Ghana) はサハラ貿易で繁栄していました。この時点ではまだ危機は現れていません。

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