紀元649年頃の世界

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解説

唐の太宗李世民の没年です。 全世界的に新たな秩序を生み出す大国が固まりつつあります。
ビザンツ帝国 (ByzanzEmpire) はササン朝やアヴァール人は退けましたが、新興のイスラム勢力にシリア・アフリカを奪われ、 劣勢に立たされています。
フランク王国 (FrankKingdom) はメロヴィング王朝のもと部族を統合し、 ロンバルド王国 (LombardKingdom) や 西ゴート王国 (VisiGothKingdom) と並んでヨーロッパの強国の地位を得ています。
ビザンツの首都コンスタンチノープルに攻め込んだ アヴァール族 (Avars) は、攻略の失敗で勢力がやや落ち目になっています。 また、この頃後にユダヤ教への改宗というユニークな選択をする ハザール族 (Khazars) が、自分達の王国を建国しています。
イスラム勢力 (IslamEmpire) は教祖ムハンマドの死後も拡大を続け、唐と並ぶ大帝国を築きつつあります。
インドでは、ヴァルダナ朝 (VardhanaDynasty) が覇権を握っていましたが、名君ハルシャ王の死後、衰退しつつあります。
東アジアでは、唐 (Tang) が太宗李世民の治世で大きく発展しました。 特に東突厥を滅ぼし、 西突厥 (=WesternTurkut>WesternTurkut) も圧迫して領土を広げました。 次の高宗の代には高句麗・百済を滅ぼし、また西域に進出して大帝国に成長します。
朝鮮半島 (Korea) 新羅が唐と同盟し、高句麗・百済と対立しています。
日本 (Japan) は大化の改新によって律令国家の体制が固まりつつあります。 この時点で朝鮮の百済の同盟していますが、後に唐・新羅に大敗し、 半島の勢力を失うことになります。
サハラ砂漠以南のアフリカでは、 キリスト教のアクスム王国 (Axum) へは、脅威であるイスラム教が迫りつつあります。 ガーナ王国 (Ghana) はこの時点ではサハラ貿易で繁栄していました。

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