紀元476年頃の世界

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解説

西ローマ帝国が傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた年です。 ヨーロッパの混迷がさらに進みます。
東ローマ帝国 (EasternRomanEmpire) は専ら外交によって外圧を切り抜けます。 が、この時期はまだまだ予断を許さない状況です。 西ローマを滅ぼしたオドアケルは 自らの王国 (OdoacerKingdom) を築きますが、 それもゲルマン人の王国 (GermanKingdoms) の1つである東ゴートに滅ぼされる運命にあります。 この頃は、ゲルマンも東西ゴートの他ヴァンダル・ブルグント ・フランクなどに分かれていました。 また、この時代はゲルマンやケルトの英雄であるシグルド (ジークフリート) やアーサー王の伝説の背景となった時代でもあります。
ササン朝 (Sassanid) は、東に興った エフタル (Ephtalites) と争っていますが、この時代はやや押され気味です。 それと東ローマが対ゲルマン対策に追われていたため、 東ローマとは直接は争っていない冷戦状態です。
インドでは、覇者グプタ朝 (GuptaDynasty) がやはりエフタルに押されています。 ササン朝とは異なり、このままグプタ朝は滅びてしまいます。
東に目を向けると、高車 (Gaoche) が柔然 (Rouran) から独立しようとしています。 初めて単于に替わってハーンの称号を用いた草原の覇者も勢いが衰え始めたようです。
中原では、北の北魏 (NorthernWei) と南の劉宋 (LiuSong) とに完全に分かれ、南北朝で微妙な均衡を保っています。 ちなみに劉宋は間もなく斉に禅譲という形で国を奪われ、これまたこの時代を象徴しています。
朝鮮半島 (Korea) では中華帝国の勢力が退いた後に高句麗・新羅・百済といった国が興り、 後の対立の構図が出来上がっています。 倭 (Wi) は一応古墳時代ですが、不明な点が多くあります。 半島の新羅や百済を従属させていたようです (これまた謎です)。
サブサハラと呼ばれるサハラ砂漠以南のアフリカでは、 紅海沿いのアクスム王国 (Axum) は独自のキリスト教を発展させています。 また、ガーナ王国 (Ghana) もサハラ貿易で繁栄していたようです。

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