紀元286年頃の世界

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解説

この年はローマ皇帝ディオクレティアヌスが同僚マクシミアヌスを自分と同格の正帝 (アウグストゥス)に任命し、帝国の分割統治を本格的に始めた年です。
ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスは、 帝国全領土の内東側 (EasternRomanEmpire) を自分が治め、西側 (WesternRomanEmpire) を元の同僚であったマクシミアヌスに委ねます。 無論同じ正帝と言えどもディオクレティアヌスが当然格上ですから、 この時点でイタリアのローマは帝国首都とは言えなくなりました。 さらに7年後、後輩2人を副帝(カエサル)に任命し、 有名な4分割統治を始めます。 しかし、あくまで自分はニコメディアを首都とし、アジア・エジプトを統治して、 後のコンスタンチノープル遷都の先駆けとなりました。 帝国の安定により、 ゲルマニア (Germania) を始めとする周辺異民族もこの頃は活動を控えています。
ササン朝 (Sassanid) がパルティアに替わってメソポタミアの天下を取った当初はクシャーナ朝・ ローマを破り正に破竹の勢いでしたが、 この頃にはさすがに勢いが落ちてきました。
インド (India) では、 前の時代に繁栄していたクシャーナ朝・アーンドラ朝の勢力が消え、 分裂の時代に突入しています。
遊牧民のアラン人 (奄蔡 Alan)、 オアシス国家康居 (Kangli) は三国志の注に名前が見えます。
東アジアでは、 鮮卑 (Sabi) を始めとする北方民族は、 中原を統一した西晋 (WesternJin) の勢力が健在なため活動を抑えています。 匈奴 (Tsongnoo) もこの時点では晋に従っています。 しかし、せっかく三国を統一した晋も、 武帝の油断と王族の愚かな権力闘争によって衰退し、 やがて中国も再び動乱の時代を迎えることになります。
この時代、倭 (Wi) すなわち日本ではおそらく邪馬台国の卑弥呼の後継者壱与の時代です。 このあとしばらくは記録者である中国の動乱により、 歴史の空白時代に突入します。

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