紀元220年頃の世界

※このページではJava対応ブラウザが必要です

Java対応ブラウザを使用して下さい

解説

この年は後漢の献帝が魏王曹丕に禅譲し、 400年以上続いた漢帝国が滅亡した年です。 また、パルティアでは後にササン朝の始祖となるアルデシールが反乱を起こすなど、 各地で世界を征していた大国が斜陽の時を迎えています。
ローマ帝国 (RomanEmpire) はセウェルス朝の大馬鹿皇帝エラガバルスの治世(?)です。 このイカレた皇帝は間もなく暗殺されますが、 帝国の混迷は続き、 ゲルマニア (Germania) を始めとする周辺異民族の侵入も活発になります。
パルティア (Parthia) では王位を巡る混乱に乗じて、 ペルシアの太守アルデシールが反乱を起こしました。 この6年後には反乱は成功し、ササン朝ペルシアが興ることになります。
インドでは、繁栄していた クシャーナ朝 (KushanaDynasty)・ アーンドラ朝 (AndhraDynasty) が衰退し、分裂の時代に突入しようとしています。
遊牧民のアラン人 (奄蔡 Alan)、 オアシス国家康居 (Kangli) は相変わらずです。三国志の注にこれらの名前が見えます。
東アジアでは、 鮮卑 (Sabi) を始めとする北方民族が活動しています。 漢の混乱に乗じて中原進出も狙いましたが、 曹操によって退けられています。
その中原では、曹操の子曹丕の 魏 (Wei) が後漢から帝位を譲り受け (奪い取り) ました。 一方、その対抗勢力である江南の孫権は形式上魏に従っていますが、 この2年後には 呉 (Wu) 王として独立します。 また、自称漢皇室の末裔劉備は、この翌年 蜀漢 (ShuHan) の皇帝となり、有名な三国時代が訪れます。
この三国時代、日本も 倭 (Wi) という名で史書に登場します。有名な卑弥呼の邪馬台国です。

歴史世界地図トップページに戻る